B-part

 

視線をテレビを向けたまま、シンジは後ろの気配に注意を向けた。

後ろには自分の小間使い……兼監視役がこちらを見ている。

ただ自分に声をかけようとせずにじっとこちらを見つめているのは、それに気づいてしまうとどうにもやりにくい。

「何か用?」

振り向かずに声をかける。

「……お客様がこの屋敷にいらっしゃるようです。いかが致しましょうか」

堅苦しい口調。シンジはそれに対し苦笑した。

「誰?」

「鈴原トウジ様に、その息子のアキト様です」

シンジは表情に驚きを浮かべて、

「……取り敢えず、通してくれ」

次の瞬間には硬くなっていた。

 

 

シンジの家は無駄なほどに広い。

正門から庭を通って本宅まで辿りつくのにも数分かかるほどだ。

本来だったら彼にとってこの距離は煩わしいだけのものだが、今になって彼はそれに初めて感謝した。

少なくとも、数分間は考える時間を手に入れたのだから。

何故、今になって?何かあったのだろうか?

そうだとしても自分には分からない。知ることの無いように努めてきた。

それよりも……彼の足はどうなのだろうか?

それを知るには自分には勇気が無さ過ぎた。

だから、ひとまず思考を止め彼に会うべく心の準備に勤しんだ。

 

 

 

 

「よお、碇」

客間に通されたトウジは、シンジを見るなり屈託の無い笑みを浮かべ、片手を上げて挨拶をした。

シンジの目にはそれは中学の時に見たそれと同じに写り、目を背けたくなるものであった。

しかし、この状況ではそれも叶わず、シンジも無難に答えを返す。

「……やあ、元気そうだね」

そう言ってから視線をトウジの隣りの少年に向ける。

「この子は?息子……にしては大きいような気がするけど」

「あ、俺は、義理の息子のアキトといいます!」

緊張を全面に押し出して、直立不動の姿勢で答える。

それを見てシンジは苦笑して、

「別に硬くならないでもいいよ」

「いや、そういう訳にはいきませんよ。碇さんは世界を救ったヒーローなんですから!」

肩を竦める。

「そんなに大した事じゃないさ……」

アキトは緊張からシンジの表情の陰りに気付かない。その場にいる人間ではトウジだけが気付いた。

だがトウジも特に何を言うわけでもなく、

「ま、はっきり言って用事なんてなかったんだが、ちょっと豪華なメシでも食わせてもらお思ってな」

変わらない様子で会話を続けた。

「まあ、取り敢えず座ってよ」

シンジもそれに合わせる。

 

 

 

「ふう〜食った食った!」

ダイニングでは三人が食事を終えたところだ。

トウジの座っている場所だけ汚れているのが目立つ。といっても、トウジが気にするはずも無く、それ以前にシンジが無頓着なので何も無いが。

アキトも本来ならトウジと同じくマナーは良い方ではないが、シンジの前とあって気をつけている。

「ところでな……碇」

食事が一段落したのを確認して、トウジが重々しく口を開く。

「惣流は、NERVを抜け出して行方不明だそうや。保安部のが追っているんだが分からんと。2、3年前の話や」

惣流が立ち直ったのは知っているよな、と付け加えて。

「綾波は戦いの後、完全に行方不明……もう捜索も打ち切られているんや」

食事の時、アルコールを断ったのはこのためか。シンジはそれに思い至った。

「それで……何が言いたいの?」

トウジは苦笑して、

「別に……大した意味もないわ。ただ碇は知らなかっただろ思てな」

沈黙。この雰囲気にアキトはついていけなかった。

「使徒戦争」の中心に近い位置にいた者にしか理解できない闇が織り成す沈黙が……場を支配していた。

しかし、シンジが理解しているのかは分からない。中心の中心にいようと、見えるものを見なければ何も分かる筈が無い。

トウジは目を開けていた。シンジのそれは閉じていた。その差は大きな溝になりえた。

「……そうだね、確かに知らなかったな」

沈痛そうな顔つきでシンジ。

「違うわ、碇は知らなかたんやない。知ろうとしなかったんや」

核心をズバリと。

「結局、碇は何も知ろうとせず……そのままこの馬鹿でかい屋敷に引きこもっていただけなんや」

シンジは何も言わない。返すべき言葉が見当たらなかった。

「……碇、ワシはな……今のNERVが気に入らん」

唐突に切り出す。

「何をトチ狂ったんだか知らんが、アレが人間のやる事かい。下らんSEELE狩りだかに心血そそぎよって、肝心な事は何一つやりゃあせん」

本気で怒りを感じているのだろう。表情からそれが分かった。

そのトウジの言葉を聞くや否か、シンジは急にトウジに喋るなとジェスチャーで伝えた。

そして、手近の紙を手元に寄せて、

『恐らくこの会話は盗聴されている』と書く。

トウジとアキトはそれを見て顔を驚きに歪めた。

シンジはさらに『使用人はNERVのスパイだ』とも追加する。

見せた後、ライターの火で紙を燃やす。漫画や小説のようなシーンだが、妙にリアリティーのある行動だった。

「碇……お前……」

声を絞り出すようにトウジは言う。

「そういうことさ。だから僕には何も出来ない」

「……そうなのか」

怪訝な表情。シンジの言葉に嘘を感じた。

「だから仕方がない。僕には何の力もない。仕方がないんだ」

話が先程と一転して深刻なものとなってアキトは戸惑っていたが、シンジが「仕方がない」を連呼するのには反感を持った。

「お言葉ですけど、それ、ただの言い訳にしか聞こえません」

アキトはシンジの眼を見据える。

シンジはそんなアキトを直視する事が出来なかった。

「……僕に何を期待しているのかは知らないけど、僕はヒーローなんかじゃない」

「俺にとってはヒーローです!」

「それは錯覚さ。僕には何の力もない」

まるで達観したかのように。

「ですけど……」

まだ何か言おうとしていたアキトだったが、トウジがそれを遮った。

「碇、ワシはお前がヒーローなんかだとは思っちゃおらんが……今のお前は凡人にも出来る事すら出来ていない、そう思うんや」

「……わざわざそれを言うためにここまで来たの?」

それがその言葉の返事ではないとは分かっていたが、シンジはそう返した。

「ああ、そうや。今の碇はこのままでは……確実に『あの時』の惣流よりもタチが悪い事になると思ってる」

トウジの言葉はシンジも理解する事は出来た。

あの時のアスカは……成績を失い、それに伴って自らの存在意義を見失ってしまい、それがあの結果となった。

しかし、今のシンジは存在意義を失ったのではない。初めから無いのだ。だから取り戻せる筈がない、そのまま腐っていくだけだ。

何も見ず、何も感じずに生きていたのでは何も始まらない。それどころか、終わる事すらない。

トウジはシンジにそれを感じていた。だからこそここまで来たのだ。

シンジは、今まで意識してかそれとも無意識の産物なのか目を背けてきたその事実を今更ながら直視した。

「けど……僕には何もない。出来る事など何もないんだ」

「そんな……地下室にEVANGELIONが隠してあるぐらいの事は言ってください!」

「現実、僕の地下室には何もない」

取り付く島もない、と言ったふうに。

「何も出来なければ何もしなくてもいいなんて言わないで……貴方はヒーローなんですよ!?」

「……ヒーローなんかじゃない。僕は……ただの元パイロットなのさ。NERVが騒ぎ立てているだけで」

トウジは二人のやりとりを複雑な顔で見た。両方の気持ちが理解できるのだ。

シンジの戦いを間近で見て、尚且つ自分自身その戦いに巻き込まれた「フォースチルドレン」としての自分ならシンジが煮え切らないのも理解できる。しかし、この十年間の世界の実情を知っている自分としてはそれは甘えでしかない。

今日ここに来たのは、ただシンジの引き篭もりを解消するだけだったのだ。ここまで指図しに来たわけではない。

ここにアキトを連れてきた事を後悔した。これではどんどん話が物騒な方向に向かっていってしまう。

アキトの想像以上のサードチルドレンへの憧れにやや気圧されはしたが、中学の時にこのような友人はいたのであまり違和感が無かったというのもあった。

しかし、それ以上にトウジの知る「碇シンジ」とアキトの憧れる「サードチルドレン」の落差があまりにも大きかったというのが誤解の原因だった。

トウジ自身、碇シンジの事はアキトにも言ったのだが、それでもアキトにとってはヒーローだったのだろう。

「まあ、アキトも出来ん言う事を無理にさせるな。碇、悪かったの。コイツが馬鹿言って」

胸にある事とは全く関係の無い、無難な言葉でその場を治める。

「いや……別に」

シンジは曖昧な笑みを返す。

「それじゃあ、ワシらはこのくらいでお暇しようかの……」

「そうか、泊まっていかないのかい?」

「そうしたいのは山々なんだが、他にも行くところがあるのでな」

嘘である。しかし、それ以上アキトとシンジに会話をさせたくなかった。

それが原因でシンジがますます塞ぎ込んでしまってはここに来た意味自体が無くなる。

「それじゃあ、またな」

シンジは使用人を呼び、トウジ達を案内させた。

トウジは去りぎわに、

「この足は気にせんでええ。碇のせいってわけでもないし、今の御時世では珍しくもないからの」

ぼそりと言った。

シンジは、その時になって友人の訪問の真意に気付いた。

純粋にその心遣いが嬉しかった。

 

 

 

 

シンジは考える。

アキトの視線が痛い。その言葉も。

「何も出来なければ何もしなくていいなんて言わないで」

彼は若いのだろう。正直にそう思う。

『逃げちゃダメだ』

かつての自分が念仏の如く繰り返していた言葉。今では忘れてしまっていたが。

今の自分が生きているとは到底思えない。死人と変わらない、それは十分に自覚していた。

しかし……もう自分は戦いたくない。あれだけ戦って、まだ足りないと言うのか?

アキトの言ったことは、自分にEVAに乗って戦えと言うことでは無い。

達観して、諦めて、座りこんでいるなと言いたいのだろう。

立ちあがれ。

一言で言うならそういう事だ。

しかし、もう……戦いは……

堂々巡りに陥る。

彼が立ちあがるには最後の一押しを必要としていた。

 

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