『4』

 

 あ、そういえば……。 

 そのくらいのウエイトしか、それには感じていなかった。

 しかし、逆に言うと、それでも心には残っていたという事で。

「ここ……何とか開かないかな」

 引出しの、一番下。

 未だにカギは見つかっていない。今まではあまり気に留めていなかったが、一度気にしだすと怪しく思えてくる。 

 両親には頼れない。もし『秘密』なら軽軽しく人には話すわけにはいかないからだ。

 カギが無い以上、なんとか自分でやるしかないか……。

 俺は十円玉を財布から取り出し、鍵穴にあてて回す。当然ながら十円ごときでカギが開くことは無かった。

 どうするか……。

 針金を発見した。成功するとは思えないが……泥棒の真似をして、針金を鍵穴に突っ込んだ。

 針金は中で曲がり、良い感じにカギっぽくなる。

 おいおい、成功か?

 ガチャリという音と共に、呆気無くカギは開いた。まあ、やっぱし所詮はオモチャみたいなカギだから、それが幸いしたのかもしれない。

 俺は中を覗いた。広さの割に、入っているのはノート一冊だけだった。それには『日記帳』と書かれていた。

 ……もしかしたら、大当たりかもしれない。

 中身は見ていないが、日記ほど本音の書かれた文章は存在しないだろう。テストのデータを見るよりも意味はある事は間違い無い。

 手に取ってみる。几帳面に扱っていたのだろう、使われたページの割には綺麗なままだった。表紙は、ただの大学ノートに『日記帳』と書かれているだけの素っ気無いものだ。逆にそれがホンモノっぽく感じる。誰にも見せる事の無い、自分だけのモノだという感じがした。

 開いてみる。

 

 ………………………!!

 

 中の文章を認識した瞬間、俺の中で何かが映し出された……

 

 母が、楽しそうに笑っていた。父は見当たらない。

 頭上には万国旗があり、目の前には体操服の集団が並んでいた。

 ああ、そうだ……これは体育祭だ。

 目の前のクラスメートと思しき体操服の連中から察するに、中学校くらいだろうか。少なくとも、高校とは景色が違うため、高校以外のどこかという事になる。

 俺は、徒競走の列に並んでいた。順番はもうすぐ。たった今、前の列のヤツが位置に着く。

 ドクン……ドクン……

 馬鹿みたいに緊張していた。たかが運動会の徒競走に、何をやっているんだか……。

 鉄砲の音がして、前のヤツらが走った。次は俺の番だ。

 隣のヤツは立ち上がって、位置に着いた。俺もそれに習ってそうした。

 前の組が走り終わった。いよいよ、俺達が走る……。

「ヤマトー!」

 母の声がした。ビニールシートの集団の最前列に鎮座し、楽しそうに俺に声援を送っている。

 しかし、俺はその声を聞いて一層緊張が増していた。

「絶対に1位よー!」

 母は、楽しそうに、本当に楽しそうに言った。

 俺は意を決してクラウチングスタートの姿勢を取った……。

 

 ……意識が、現実に引き戻されるのを感じる。

 ぼんやりと周囲の光景が広がり、代わりに今まで見ていた体育祭の光景が消え去った。

 何だったんだ、今のは……?

 いや、答えは分かっている。あれは『真面目君』の記憶だ。ついに蘇った……。たとえ断片的であったとしても、それはとても有益なことの筈だった。

 しかし……俺は、これ以上は思い出したくない。そう思い始めていた……。

 

『5』

 

 日記帳には、他愛の無い事しか書かれていなかった。

 ハッキリ言うと拍子抜けだが、あの記憶が手に入ったので元は取れたと思うべきだろう。

 結局、俺はこのまま生活している。何も変わらない……普段と同じく。

 それに……俺は、その後には何も思い出さないという事実に、確かな安堵を感じていた。

 

「ヤマト……」

 父は、最近、俺をよく構うようになった。本質的に『いい人』なんだろうか。

「何?」

 思い出した記憶に関しては、誰にも言っていない。口にしたくなかったというのが半分、わざわざぬか喜びさせる必要もないだろうというのが半分。……いや、本当は前者のほうが100%を占めていたかもしれない。アレは、反吐が出るほどのモノだった……。

「いや、何だ……今度の休み、釣りにでも行かないか?」

「釣り? ……俺は、釣りなんてやってたのか?」

「……今のお前だからだよ」

 ぼそりと言った。

「前のお前じゃあ……部屋に篭って勉強ばかりだったからな」

「まあ、お陰で成績は終わってるけど」

 俺は苦笑しながら。

「それでもいいさ。やっぱり男なら元気がなくちゃなあ」

「元気、か……。やっぱ、そうだよな」

 記憶の中の俺を思い出す。元気どころの騒ぎじゃない。こっちの気が滅入るくらいの根暗っぷりだった。

 そんな光景を毎日見せられては、確かに溜まったもんじゃないだろう。

「今度の休み、もちろんOKだ」

 楽しみにしてるよ。とも付け加えた。

 

 一応は、勉強もしているのだが……。

 それでも、学年トップにいきなりなれと言われても、無理がある。

 机の上の数学のノートを閉じる。そんなもん知るかっての……。

 鞄の中からマンガを引っ張り出す。普通の週刊誌だが、この部屋にはとても不釣合いだった。 

 パラパラとページをめくる。椅子の背もたれがギシギシいっていた。

 無駄な時間。そういう時間を『真面目君』は持たなかったのだろうか。ただ、飽きもせずにひたすらカリカリと鉛筆を動かしてたんだろうか。

 そう思うと、不幸だなあ、と感じる。無意味なモノの意味を感じない『真面目君』は楽しい事があったのだろうか。本気で心配になってきた。

 しかし、どうだ。『真面目君』は本当に自主的に勉強をしていたのか? あの反吐の出る記憶からは、母の「絶対一番」発言が特に強く残っている。それを考えると……つまりは。

「ヤマト、あなた何やってるの!?」

 ドアが開いた音がしたと思ったら、いきなり母が何やら喚いた。

 それによって俺の思索は強制中断となる。少しムカついた。

「何って……マンガ読んでいるんだけど」

「マンガ……」

 卒倒しかねないくらいに、母の顔色は青かった。

「本当のあなたならそんな下品な物、読むはず無かったのに……」

 本当の、ね。ああそうですか。そうでしょうとも。

「学校の勉強も出来てなくなって、遊んでばかりいるようになって、本当のあなたはどこに行ったの?」

 知るか。そんな事。

 反論したいことは山ほどあったが、俺は何も言わなかった。

「何とか言ったらどうなの!? ニセモノ!」

 ……馬鹿らしい。馬鹿のヒステリーだ。

 怒鳴り返してやりたい衝動に駆られた。しかし、いざ声を出そうとなると口が動かない。

 ……どういう事だ?

 以前にもそんな事があった。学校に行くかを決める一件。それも、母の一方的な決定に俺は何も言わなかった。……いや、言えなかった。

 そしてあの記憶。いたのは、母だ。

「俺は……」

 まさか。そんな事が……出来るのか?

「ああ、なんてこと! ホンモノのあなたなら『俺』なんていう野蛮な言葉も使わなかったのに!」

 ノイローゼだか何だか知らないが、喚き散らしている母は放っておこう。何を言っても無駄だ。『ニセモノ』の俺が。

 冷たい目で母を見る。

 病院で目覚めたばかりの俺は、両親が馬鹿みたいに見えた……。それも、もしや……

 考えても答えは出ない。絵空事と思ったが、信憑性は妙に高く思えた。

 

 その日の夕方。俺の部屋のドアの向こうから、ノックの音が聞こえた。母ならどうせ何の確かめも無しに入りこんでくるのだろうから……。

「開いてる」

 ガチャリとドアが開く。案の定、父だった。

「ヤマト、母さんの事だけどな……いろいろあって、疲れてるんだ。決して、悪気があったわけじゃない……許してやってくれ」

 確かに、ニセモノ呼ばわりされては多少なりとも傷ついたが、『あの』推論に比べたら、もはや小さい事に過ぎない。今、重要なことは……。

「そんな事はもういいさ。それより……」

 父は驚いた顔をした。そんなに俺が気にしていなかったということが、意外だったらしい。確かに俺も何も無かったら落ち込んだかも知れないが。

「……何だ?」

「俺の、記憶についてなんだが」

「記憶!? 何か思い出したのか」

 父は喜びと残念が混じったよく分からない表情をした。

「いや、それもあるんだが……何故、俺が記憶を失って……今の俺になったか」

 

『6』

 

「俺は……記憶を失う前の俺は、何もかもがイヤだったんだと思った」

 父は黙って俺の言う事を聞いている。俺は続ける。

「だから、俺の事故は、もしかして自殺だったんじゃないか。死んでしまえば俺はイヤな事から逃げられるから……。

 しかし、俺は生きていた。それでは、またウジウジしたパッとしない男になって、母の言いなりに勉強し続けるしかない。それは困った」

「ちょ、ちょっと待て。自殺って、そんな事お前は一言も……」

「考えてみろ……わざわざ親に向かって『自殺します』と面と向かって言うヤツがいるか? 言われた方は確実に止めるだろう。それに、特に計画なんて無かったのかもしれない。ただフラっと死にたくなったってことも有り得る」

「…………………」

「話を戻す。 

 だから、俺は、全てを忘れたんだ。いわば、究極の現実逃避の手段として。そして、以前の俺が望んだ通りの……『俺』が生まれた」

 口に出してみると、かなり嘘臭い。少なくとも俺だったら信じないが……。

「……確かに、そうかもな。そうかもしれないなあ……」

 父は信じた。彼は遠くを見詰めるような目をしていた。

「思い当たる節なんて、いくらでもあったかもしれない」

「……そうか」

「記憶を無くす前のお前は……いつも笑わなかった。笑っていても、笑っているようには見えなかった……。そう感じた事もあったが、俺は『錯覚』で済まして来た。こんな恵まれた家庭に間違いなんて無い、と思っていた……。今は少し辛くても、必ず幸せになる。そう信じていた……」

「……そうか」

 それ以外の言葉は見つからない。言うべき言葉は、今の俺は持ち合わせていなかった。

「それでヤマト。お前はどうする? 記憶を思い出そうとするのをやめるのか?」

 ……それは、考えていなかった。考えたところで答えなんて出なかっただろう。

「……俺の推測が正しいとしたら、どうせ肝心なところは思い出せないさ」

 だから、逃げともとれる答えを返すしかなかった。

 

『7』

 

 一階から、怒鳴り声が聞こえる。一方は父、一方は母のようだ。何を言っているのかは二階の俺の部屋からでは聞き取れない。しかし、俺のことなんだろうと分かっていた。

「何時になったら終わるのか……『真面目君』は何時までも終わらせたくないんだろうけど……」

 ベッドに寝転ぶ。ふわふわの布団が気持ち良い。

 アタマのナカに、『真面目君』は今でも巣食っているのだろうか。この壮大な現実逃避を楽しんでいるアイツは。

 いや、本当の原因は直接の原因となった母と、それを放置していた父か? どちらにせよ、実際の行動を起こしたのはアイツに他ならない。

 ドタドタ音がする。階段を上る音だ。

「ヤマト!」

 母が、ドアを開けていきなり怒鳴り込んで来た。こういうのが、『真面目君』を追い詰めたのであれば、母にも大きな責任があるとも思えてきた。

「……何」

「あなた……お父さんに何を言ったの?」

「『ホンモノ』が何を考えていたのか。『ニセモノ』なりの考察だよ」

 言葉に皮肉を混ぜる。しかし、母はそんなものを気にも留めなかった。

「あなたは、元に戻るつもりが無いの?」

「少なくとも『ホンモノ』にはないだろうさ」

「何を馬鹿げた事を!」

「記憶は取り戻した。しかし、それはあくまでも『他人』のモノでしかない」

 そう……結局、『真面目君』に戻るつもりが無ければ全てが無駄なんだ。それに、俺自身、戻りたいと願っているわけじゃない……むしろ、消えてしまうのが怖い。

「だから、何も変わらないさ」

 そう、変わらない……『真面目君』と俺の利害関係が一致している限りは。

 俺の話しぶりに、母は反論の言葉を失った様だ。何やら見苦しい言葉を吐いて、部屋から出ていった。階段で父に遭遇したらしく、また怒鳴り散らす。

 ……何も変わらない。そんな生活が、ぐるぐる円を描いて続いていく……。同じところを、ずうっと回って……。

 

  

 

 そういうわけで、少年は、幸せになりました。

 現実逃避を幸せと呼ぶのか? そう仰る方も確かにいらっしゃるかと思いますが……

 それでも、彼は幸せなのです。全てのイヤな事が、無くなったのですから。

 あなたもそうでしょう? 「逃げてはいけない」なんて建前でしかないのです。

 ただ、逃げられない事があるから……。だから立ち向かっているのです。

 逃げられるとしたら、誰もが逃げ出します。 

 結局は、そういうものなのです。

 

 

 


 

 

あとがき

 

どうも、kazamaです。

早速ですが、人名などの元ネタバラシをしますと、

主人公「森村ヤマト」……「森村」は作家の森村誠一、「ヤマト」はオレンジレンジのボーカル(高音)のYAMATOより。

タイトル「All or Non」……週刊少年ジャンプの打ちきりマンガ「A・O・N」を少し参考にした程度です。珍しく完璧なパクリじゃないです(笑

それにしても、ヤマトって名前、やっぱし宇宙戦艦ですねえ……(爆笑

 

ではでは

 

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