『1』

 

 屋上に出て、何をするでもなく寝っころがった。

 今日という一日のみならず、大抵僕はそうして過ごしている。

 学校。

 今は授業中だ。所謂サボリってヤツだ。

 体育の掛け声が遠くから聞こえてくる他は、ここは随分と静かな世界だ。

 空は青い。

 それが綺麗なモノなのか、僕には判断しかねるが、多分、綺麗なモノなんだろう。

 雲がゆっくり流れる。今日は風がある。

 微妙に肌寒い……ような気がしないでもない。いや、気のせいだってのは分かってる。今は7月で、夏という季節なのだ。

 日陰だったかな? そんなはず無い。腕に感じる熱気は紛れもない日光だ。

 ごろんと寝返りをうつ。

 そのままごろごろ回転して、柵の傍まで転がっていく。

 奇怪な事この上ない行動だが、どうせ見ている人間はいない。奇人変人っぷりを思う存分発揮してやる。

 体中が痛い。当然だ。

 ついでに制服が汚れた。それもまた当然。僕が文句を言う義理は全く無い。

「ふう……」

 何やってんだか、と一人溜息。

 マトモに人と会話したのは、いつ以来だっただろうか?

 友達を作るのが煩わしくて、けど友達無しじゃあ辛くて。

 結果、ここにいる。

 これがいいのか悪いのかと聞かれたら、普通の人間はまず「悪い」と言うだろう。全く持ってそのとおりだと思う。

 けどまあ、別にいいじゃん。

 一人くらい、馬鹿野郎がいたって。

 そう思うことにしている。

 

 

 

 昼休みになった。

 生徒がわらわらと教室から漏れ出したから判る。

 まあ、ここには誰も来ないだろう。

 屋上は立ち入り禁止だ。僕だって鍵をくすねていなかったらここに入れない。

 教師なんて、騙すのは簡単だ。向こうとしては面倒を抱えたくないから騙されてあげてるのかもしれないけど。

 どっちにせよOK。どうせ問題なんて起こさない。ただ、ここでだらけてるだけだ。

「腹、減ったな」

 購買まで行くのもかったるい。この微妙な引きこもり、結構長い間続けていると外に出るのが億劫になる。

 けどまあ仕方ないと自分を納得させ、起き上がる。

 ドアを開けて外に出ようと思い、視線を10メートルくらい先のドアノブに固定した。

 その時。

「……あ」

 ドアが開いた。

 当然ながら、勝手に開いたわけではない。ドアはしっかり人の手で開けられていた。

「…………」

 微妙な沈黙。

 お互いにとってこれはかなり予想外の遭遇だったのだ。

 ええと……どうしよう。

 僕の目の前で固まっているのは、一言で言うなら女の子だ。

 二言で言うなら普通の女の子。三言なら地味目で普通の女の子。

 多分、向こうも似たようなことを考えているだろう。

 で、どうしよう。

 「ここは立ち入り禁止だよ」とでも言ってお引取り願おうか。けど僕もここにいるしなあ。

「ええと……通して、くれないか」

 ドアの前に立ちはだかる彼女に言った。

 彼女は俯いていた視線を上げ、僕を見た。

「何で、あなたはここにいるんですか?」

「いや、だからさ」

 僕の言葉を遮って。

「ここは私の場所です」

 訂正。普通の女の子ってのは間違いだ。

「屋上に誰のものもないだろう」

 放っておけばいいのに、思わず相手をしてしまっていた。

「けど、私の場所です」

「ああ、そう……じゃ、出てくから、ここ通して」

「嫌です」

 分けわからん。

「あなたがここにいる理由を、まだ聞いてない」

「は……?」

「私がここにいるのは、確固たる理由があります。ですから、あなたも何か理由があるならいていい、と言っているのです」

 微妙に会話が噛み合ってない気がしないでもないが、一つ分かったことがある。彼女は変人だ。そりゃもう、僕なんかじゃ太刀打ちできないほどの。

「いや、別にさ、特にここに固執する理由はない……んだけど。強いて言うなら、暇だから、かな?」

 本当は相手にしないのが吉なんだろうけど、答えてしまっていた。

「そう」

 興味なさ気に彼女は言った。そして、少し微笑んだように口元を歪め。

「私と同じ」

 彼女はここを通してくれそうもなかった。

 

 

 

 彼女は名乗らなかった。

 だから僕も名乗らない。

 彼女はスタスタと僕に近づいてきて。

「食べましょう」

 主語と目的語が致命的に欠けている言葉を口にした。

 面食らっている僕をよそに、彼女は右手に持っていたビニール袋から菓子パンを取り出した。二つある。

 彼女は手すりに寄りかかって座り、菓子パンを地面に広げる。

 そして僕をじっと見つめる。

「…………」

 何を求められているのかは分かる。

 しかし、行動理由が全くの不明。何故僕にパンを差し出すのか。

 しばらく拮抗状態が続く。

だが、その視線に気圧され、彼女に従うことにした。

 まあ、確かに、拒否する理由はない。相手の意図が分からないのが不気味だが。

 僕は彼女の隣に座り、彼女を横目で見た。

 彼女の表情からは、その意図は計れない。

 ただ、無言でパンの袋を開ける。しかし開けてもすぐに食べずに僕をじっと見つめていた。

「い……いただきます」

 突き刺さる視線に急かされるように、僕はパンを手に取った。

 お互い無言のまま、もしゃもしゃパンを食べる。彼女は満足したのか、無言で立ち上がり「また明日」と言って去っていった。

 

 

『2』

 

 

 次の日。

 僕は、またここにいた。

 あの奇怪な女の子はいない。お陰で心休まるいつもの屋上だ。

 今日も嫌というほど晴れている。昨日よりも風が出てきているのが、雲の動きから分かった。

 ふう、と溜息をついて、鞄の中身を漁る。

 中身は煙草だ。吸ったことはないし、興味も特にはないが、屋上で黄昏るなら必須だろうと思いたって持ってきた。

 箱を開け、中の白い棒を取り出す。

 しばらく匂いを嗅いだり、口にくわえたりと遊んでいた。けど。

 いざ火を付けようと思って気付いた。僕は火種を持っていない。

「……馬鹿か」

 自嘲する。

 自分の間抜けさにではなく、何事も満足にこなせない自分に。

 僕は停学をくらうような連中のようにはなれないし、テストで一番を獲る連中とも違う。

 多分、大部分の人間がそうなんだろうけど、僕はその「大部分」にも属していない。だって、こんなところにいるんだから。

 じゃあ、僕は何なんだろう? とか少し思ったり。

「……ふう」

 答えは出るわけない。多分、一生。

 ウダウダ考え込んでいたら、急に手の中にある箱が恨めしくなってきた。

 こんな物があるからいけないんだ、と。

 それを持ってきたのが自分だって事も忘れ、僕は煙草を放り投げた。

 白い箱は放物線を描き落下、校庭にまで落ちる。

 ……見つかったら、いろいろと面倒かな?

 そんな考えが一瞬浮かんだが、「まあいいか」と僕はまた寝転がった。

 

 

 

 多分、2時間目と3時間目の合間の休み時間だったと思う。

 何気なく校庭を見ていると、彼女がいた。

 僕は何となく気まずくて、咄嗟に影に隠れた。向こうから僕が見えるはずないのに。

 彼女はぼんやりと佇んでいる。その姿は、何と言うか。

 何を考えているのかさっぱり判らない無表情で、それでも変に寂しげに見えた。

 彼女がいるのは校庭の隅っこの方だ。ちょうど日陰になっていて、それが一層彼女を暗く見せている。

 何をやってるんだろ、と思ったが、その考えはすぐに消した。

「人の事なんて、言えた義理じゃない」

 声に出してみた。そして冷笑。

 馬鹿馬鹿しいというか、何と言うか……。

 彼女はずっと動かない。チャイムが鳴っても一人そこにいた。

 僕はそれを眺め続けた。

 3時間目の授業が終わってやっと、彼女はどこかに行った。どこに行ったかは知らない。特に確かめようともしなかった。

 

 

 

 昼休み。ドアが開いた。

 鍵はかけておかなかった。彼女が来るのかどうかは知らなかったが、鍵をかけてしまうのは何となく逃げのような気がしたからだ。何から逃げているのかは知らない。ただそう思った。

 強風が彼女の髪を撫でる。昨日はよく観察していなかったが、彼女の髪はそれなりに長い。それなりというのは、肩まで届くくらいという事だ。所謂、平凡ってヤツだと思う。

「……やあ」

 とりあえず、声をかけてみる。

 彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに元の表情に戻って、

「ええ」

 と頷いた。

「えっと……」

「食べましょう」

 昨日と同じ台詞。一言一句変わらない。唐突さ加減も含めて。

「ところで、訊きたい事があるんだけど……」

「……深い意味はないわ」

 彼女は僕の質問を先読みした。

 という事は、一応は自分の行動が奇怪である事を理解しているのか。

 しかし、深い意味はない、と言われても気になるのだ。じゃあ浅い意味ならあるのかと問い詰めたくなる。

 彼女は無言で菓子パンを差し出してくる。

 僕もまた無言でそれを受け取り、「いただきます」も無しに食べ始めた。

 ああ、雲が青空を泳いでる。

詩人っぽく思ってみた。

 隣の彼女は無表情を崩さず、黙々とパンをかじっている。

「ねえ」

「何?」

「何で屋上に来るの?」

 昨日、理由云々とか言っていた筈だ。

 彼女は少し考え込んだ後、

「……好きだから」

空を見上げて、そう言った。

「何で?」

「ここには、何もないから」

 それきり彼女は黙った。それに倣い、僕も。

 風が吹く。

 やや強めのそれは、彼女の持ってきたビニール袋を飛ばす。

 僕はぼんやりとそれを眺めた。

 白い袋は、風にまかれてどこかに飛んでいった。

 確かに何もない。ここにいるのは、僕と彼女だけ。だから何もない。少なくとも彼女にとっては。

 そう、僕の存在なんて、多分無いも同然だろうから。だって僕だもの。そういう自分を演じてきた。いや。

……それしか出来ないって、本当は、理解している。頭のどこかでは、多分。

 

 

 

 下校のチャイムが鳴った。

 僕は帰ろうと思い、鞄を持って立ち上がる。

 今日もまた一日が終わる。

 ふう、と溜息。

 太陽はまだ燦々と輝いて、僕を照らしていた。

「夏だから……」

 しょうがない。

 この忌々しく輝く、暑苦しいだけの太陽。大嫌いなそれが堂々と頭上に鎮座しているのは癪だったが、どうせ冬になったら身の程をわきまえるのだろう。

 校門まで出て、駅までの道を歩く。

 僕の前に学校の生徒がいることは少ない。

 どうも普通の生徒はホームルームが終わった後も多少は残るらしく、チャイムとともに校門をくぐる僕より早く下校する事はほとんど無い。

 すぐ隣の車道で、大型トラックが騒音とともに通り過ぎた。

 それと同時に、そう思った。

「数メートル、なんだな」

 数メートル。

 僕がちょっと車道に飛び出すだけで、僕のこれからは劇的に変わる。

 変わるというか、高確率で『無くなる』。

 本当に、自分という生き物がどうでもいい存在なのだと思った。

 死ぬも生きるも、誰からも強制されない。

 自分がふらりと車道に出るのを、止めてくれる誰かの顔は、僕の脳裏に浮かばない。

 それはそうだ。だって僕も、誰かが車道に飛び出しそうになっても、そのまま見ているだけだろうから。

 身を挺して止める理由のあるほど大切な人など、いない。

 自分勝手なのは承知している。

 自分は何も与えず、それでいて欲しがっているなんて、ただの馬鹿だ。

 けど一つ言い訳したい。

 僕は、与えたくないんじゃない。与え方を忘れてしまったんだ。

 だから、彼女に「ありがとう」と言わない。言い方を忘れてしまった。

 だから、二人並んで無言のまま、寂しく昼食を摂る。

 そんな自分を心から嫌らしく思った。

 そんな事、今まで考えないようにしていた。

 けど。

 彼女と関わる事で、どうしても自分を客観視してしまう。

 何で僕は他人と係わりたがらなかったのか、理解できてしまった。馬鹿な自分を見たくなかった。

 

 

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