日付の無い日記

 

『1』

 

 重苦しい空気が、長方形の形をした監獄に込められていた。

 いや、赤松省吾にとっては監獄のほうが良かったかもしれない。少なくとも一人ならば、まだ。

 彼は休み時間というものが嫌いだった。というか学校が嫌いだった。もっと突き詰めれば、集団というもの自体が嫌いだった。何が楽しいのだろう。本当に楽しくて笑っているのだろうか。友達とふざけているクラスメートを見ると、心の底からそう思う。

 早く終わらないかな……。

 彼は、いつも時計ばかり眺めていた。

 

 

 下校時刻。雲が空を覆う。そのため三時ごろだというのにもう暗い。

 省吾は、やや俯き加減で通学路を歩く。鬱陶しい、とその顔には書いてある。周囲には彼と同じく下校する生徒が歩いている。数人の友人と笑いあっている。それが彼は鬱陶しかった。

 見たくない。それは一々癇に障った。だから自然に視線も地面を向き、結果として俯いている事になる。

 彼の隣りには、大きな川が広がっている。確かここから太平洋に繋がっている、と聞いたような気がしたがよく覚えていない。去年の今ごろ、大きな台風が来てこの川が増水したのは覚えているが。

 川の周りには土手が広がっていて、今も小学生とおぼしき少年達が野球をしている。

 球技をここでやると、よくボールが川に落ちてしまうけどね……。省吾は少年達を一瞥した後、また前に向き直る。

そしてまた目を地面に向ける。

……何で誰も気に留めないんだ?

 道の真中に、一冊のノートが落ちていた。カバーは道に落ちているにもかかわらず、高級そうに黒く光っている。水に濡れた形跡も無くふやけてもいない。中身は分からないが、誰か一人くらい興味を持っても良さそうなのに。

 省吾はノートに近づき手に取る。一見するとただの大学ノートなのだが、どうにも不自然だ。

 いつから落ちていたのか知らないが、昨日は雨だった。それなのに全く濡れた形跡が無い。

 雨自体は霧雨だったため、地面はもう乾いているものの、雨は雨だ。全く濡れない事はありえない。それは、今日落とされたものだという事で納得もできるが、何で土も全く付いていないんだ?

 黒いノートだから、砂埃が付いたらすぐに分かる。しかし、それは文房具屋に並んでいるように綺麗だ。

 なんか変だな……。

 省吾はノートを鞄に入れ、歩き出した。

 

『2』

 

「タダイマ、と……」

 鍵を開け、ドアを開く。省吾の声に返事は無い。彼も返事など期待した風も無く、淡々と制服から部屋着に着替え、鞄を持って寝室に入った。

 

 この家には、省吾の他に住んでいる者はいない。

 その事には、いろいろあって……、としか彼は語らない。本当に「いろいろ」あったのだろう。

「いろいろ」あったので、省吾はこの家に一人で住んでいる。

彼は一人でいるのが好きだった。だから両親が別れた後、彼は一人でいる事を選んだ。

 両親は、何処かに行ってしまった。何処にいるのだろうか。聞いた事も無い住所だった。

 

 部屋の学習机につき、鞄から拾ったノートを取り出す。

 こうやってまじまじと見ると、さらに不自然だ。いくらなんでも折り目一つ無いというのは不自然どころの騒ぎではない。

 それが落ちていたものだと言っても、誰も信じないだろう。新品以上に新品だった。

 中身には、何か会話のような文章が載っている。会話といっても、独り言だろうか。『暇だ』といった種類のものが圧倒的に多い。

 それには一人でチャットをしているような印象を受けた。チャットルームに誰もいないので暇潰しに書き込む発言。

 それも最初の数ページで終わって、あとは空白のページが続いていた。

 そういえば世界史のノートが切れていた、これを使おうか。省吾はおかしな文章をもう一度見る。

 どうもそれはシャーペンで書いたものではなさそうで、消しゴムをかけても消えない。

まあ、しょうがないか。省吾は何気なくノートを放っておき、部屋を出た。もう日も暮れていた。

 

 

 省吾は夕食にしようと台所に向かう。寒々しい空気が彼の周りに充満している。

 ひとりで住むにはこの家は大きすぎた。彼は寝室のほかに、台所、風呂、あとはトイレくらいしか使っていない。

 掃除が大変というのもあるだろうが、それ以上に必要性が感じられなかった。

 普段は、家の大きさについては考えないようにしている。考えたら際限無く気持ちが沈みそうになるから……。

 しかし、寝室から台所までの距離は、やけに広い。静寂が耳につく。キーンと鳴っている。

……やめた。

 省吾は料理をする気力が失せた。ついでに食欲も失せた。

 まあ、一食抜いたくらいでは死にはしない。仮に死ぬとしても、夕食を食べる理由にはならない。別に誰が心配するわけでもない。だから問題なんて無い。

 結局、また寝室に引き返した。

 

 

 寝室に入って気がついたのはノートだった。机に広げっぱなしにしていた事を失念していた。

 片付けようとノートを取ろうとする。丁度、書き込みがある最後のページを開いていた。

……ん?

 省吾はじっとノートを見詰める。何か、違和感がある。

『暇だ』

『何もする事無いなあ』

『どうしようったって何もすることないし……』

 最後に、明らかに異質な一文があった。

『はじめまして。アナタの名前は?』

……な!?

 思わず、周りに誰かいないか辺りを見まわす。無論、誰もいない。この家には自分以外の人間はいないのだ。だから、訳の分からない悪戯をする人間もいない。

 だとしたら、それは。

 ある一つの仮説に行き当たったが、あえてそれは握りつぶした。

 有り得ない。そんな事があってたまるか。

 そうだ、この文を自分は見落としていたんだ。それだけの事だ、別に不思議な事じゃない。

 省吾はもう一度ノートに目を向ける。

…………!!

『答えてる時にはそこに書きこまないでいいから。言ってくれれば分かるわ』

 何故か、正面から視線を感じた。まるで誰かが机の上から自分を見ているような……。

気のせいという事にして終わらせるには、些か省吾の神経は細かった。

「な、何なんだ……?」

 瞬きした瞬間、また文章は増えていた。

『何なんだ、ていうのは無いでしょ。失礼ね』

 ある仮説が、圧倒的に心の支持率を得ていく。

 試しに、自己紹介をしてみることにした。視線はどこに向けていいのか分からない。

「赤松、省吾……」

 再び視線をノートに向ける。

 やっぱりというか、また新しい書きこみがあった。

『そう、分かったわ。アタシはアヤ。よろしくね』

 何がどう『よろしく』で、何がどう『分かった』なのか全く分からないが、少なくとも省吾は「アヤ」と名乗るノートに「よろしく」と挨拶をされた。

 すでに、関わり合いになる事が決定されていた。

 パタン。勢いで省吾はノートを閉じて、何もせずにベッドに入った。

 

『3』

 

……思わず学校を休んでしまった。当然、仮病である。

 まあ、省吾にも彼なりの言い訳ならあるのだが、それはどうも他人には理解されないものである事は承知していた。

 だから、適当に「風邪」という事にしておいた。

 別に学校を休む事には抵抗感は無い。なんせ「監獄」とまで称した場所だ、進んで行きたがる筈も無い。

 カーテンが閉めきられているため、朝の太陽が遮られる。

 それでは手元が見えないので、机のライトをつけ部屋を照らす。人工的な光が黒い表紙のノートを照らした。相変わらずシワ一つ無い。

 ノートを開く。彼の見ていない文章が追加されていた。

『ひど〜い。何でいきなり閉じるわけ!』

「!」や「〜」も使えるのか。省吾は妙なところに感心した。文章自体は予想の範囲内の事だったため。特に驚きはしない。

 目を離した瞬間にノートに文字が追加される事には、いいかげんにもう慣れた。

「……やっぱ、夢じゃないよな」

 半ば自分への確認のつもりで言う。……うん、嘘でも夢でもない。

 頭がおかしくなるには、自分の場合は環境が整いすぎている。幻というのも、あながち笑えない冗談の一つだった。

『そうに決まってんでしょ。で、昨日の話の続きだけどね……』

 今度は「……」を使った。

『アタシは、悪魔なの』

 もはやこの位では驚かないし笑わない。省吾は瞬きをして先を促した。

『けど、魔界から人間界に来る時には、ちょっとしたルールがあってね』

「ルール?」

『そう、アタシ達は人間界で活動するには、何かの道具を媒体にしなければならない。それでしか意思の表現ができないから、大抵は本かパソコンとかになるんだけどね』

 2行使って、長めの文章が追加されていた。書く手間などは全く無いらしい。一瞬だけで書かれている。

「で、その悪魔ってのが何で……」

『特に理由は無いんだけどね。まあ、観光かな?』

 そんな無茶苦茶な。

『そうそう、言い忘れていたんだけどアタシを拾ったアナタには一度だけチャンスが与えられるのよ』

「チャンス、って?もしかして気に入らない奴を呪い殺せるとか?」

 段々どうでもよくなってきた。悪魔だ何だと、省吾の理解力を完全に超えている事柄であったため、無意識のうちに避けて通る方向に向かっていた。

『違うわ、そんなに物騒なものじゃない。ただ、「本人」が「心から」望んだ事を一つだけアタシが叶えてあげるの。他人に言われたことじゃ駄目、本当に自分が思った事だけね』

「……じゃあ、別に呪い殺すってのも出来るじゃん」

 肩を竦めて。

『…………』

 わざわざ「……」だけを書きこんでいる。「気まずい沈黙」を表現したかったのだろうか。

『……まあ、先は長いしね。じっくりと待たせてもらうわね』

 その一文が書きこまれた時、すでに省吾の視線はノートには無かった。

 アヤはそれに少しいらついたのか、

『言っておくけど、このノートを捨てても無駄よ。いくらでもアナタの机に戻ってきてあげるから。そしてしっかりと呪ってあげるから』

怪談話さながらな恐喝を添えてやった。

 

『4』

 

 また、朝日が昇る。

 カーテンの隙間から朝日が射し込む。省吾は毛布を頭に掛けてそれを遮った。あと5分くらいで目覚ましは鳴る。

 昨日は学校をサボったが、それでも世界は普通に回っているし、チャイムと共に授業は始まる。

 今日もサボろっかな……。

 陰鬱な空気が省吾の周囲を支配した。仮病とは、一度やってしまうと、ズルズルと引きずってしまうものらしい。

 強い誘惑だった。どうせ誰も咎めはしない。それに、理解はされないだろうが、一応は「理由」もある。アレを見せられたので強いショックを受けた、という事で。

 

 しかし、アヤと名乗るノートに関しては、実はというとあんまりショックでも何でも無かった。

 別に椅子やテーブルをふわふわ浮かして襲ってくるわけでもなく、夜な夜な呪いの言葉を吐くわけでもない。

 唯一の行動といったら、ノートに文章を追加するだけだ。それにしたところで、見なければ問題無い。

 もう、いい加減にその現象が錯覚だとは思わないが、だから何だというのだ。

 確かに、恐い、とは思うが、別に恐ろしい文章を長々書いてくるわけでもなく(小さな字でびっしり「殺してやる」とか)、毒にも薬にもならない、日常的なダラダラしたメッセージが書かれているだけだ。

 恐くも何とも無い。それどころか普通に会話をする事も出来る。現に初対面の時はそうしたのだし。

 謎のノート上等、自称悪魔上等。

 そんなフレーズが頭の中を過り、薄ら笑いを浮かべた。

 ……よし、今日もサボろう。

 決心にはそんな時間は掛からなかった。風邪が長引いた、と言えば問題無いだろう。

省吾は目覚ましを止め、学校へ連絡するために起き上る。

 その時、ちょうど視線が机の上に向く。そこにあった真っ黒なノートが、目の中に飛び込んできた。

 ……あれ?確か、しっかりと机の奥にしまいこんだはずだったのだけれど……。

 しかしノートは、堂々と机の真ん中に鎮座し、昨日の書きかけのページを開いている。

 そこまで注意が行ってしまっては、どうしても書かれた文章を読んでしまう。

 そこに書いてあった「呪ってやる」云々のメッセージはあえて無視し、さらに書かれていた一文を見る。

『学校、行くの?』

 何気ない一文。しかし、「呪ってやる」よりもそっちの方が効いた。

 自分は学校などに何の意味も見出してはいない。だから行く意味など無い。そんな、心の中では完璧に構築されていた理論に、小さなヒビが入るような気がした。他人に言われるのは、自分だけで思うのとは違った。

「行かない。サボる」

 それを認めたくは無い。だから意識的に無愛想に呟く。

『何で?』

「かったるい」

 部屋を出て、電話機に向かう。もうノートの文字は気にしない。

 学校の電話番号を調べようと、連絡網を書類棚から探す。

 書類棚、というと聞えが良いが別になんでもない、本棚にそういった書類が少し入っている程度のものである。

 大した量の無い書類の中から、学校の連絡網はすぐに見つかる筈だった。昨日も使っている事だし。

 カーテンを閉めたままの薄暗い部屋の中、手探りで探す。

 やがてその紙の感触に行き当たる。それだ。省吾はその紙を棚から取る。

 しかし、手の中のものは黒いノートだった。

「え?」

 何があったのか、まだ良く理解できない。連絡網の紙は、確かに見つけた。そして、それを取った、と思ったのだが……。

 テレポート? やっぱり自称悪魔な事はある、という事なのか。

 手にとってしまったからには仕方が無い。中身を見ざるを得なくなった。

 黒い表紙も、「見ろ」と訴えかけているような気がしてならない。

 しぶしぶノートを開く。

 そこには案の定アヤが、

『サボる!?こんなの駄目に決まってんじゃない。とっとと行きなさい!』

と二行を使って大きく殴り書きをしていた。

「……やだ」

『そう、別にそれでも良いけど、アタシはアナタの周りに一生ついて回るからね。隠しても捨てても無駄なのは分かったでしょ?』

 今度は通常の文体に戻している。

「十分、呪いじゃん……」

 省吾は心の底から嫌そうに呟くが、アヤはそんな愚痴など完全に無視して、

『分かったら早く支度しなさい。遅刻するわよ』

 無視、は可能なのだが……。付き纏われても、完全に視界に入れなければいいだけの事だったのだが。

「分かった。行くよ」

 棚を元通りに直し、制服を着るために部屋に戻った。

 ムカつくだけの筈の説教をされても不快ではなかった。むしろ、何故か楽しく感じられる。他人に、そうやってガタガタと小うるさい事を言われるのは、随分と久しぶりな気がした。

 

『5』

 

 通学路。川に沿って続いていく道を、省吾はやや遅刻気味になりながらも悠然と歩いていた。

 腕時計を見る、もう始業10分前だ。少し間に合うか不安になる。

 結局、鞄に、ピカピカなシワ一つ無い微妙に不自然なノートが一冊入っている。

 省吾としては置いていったつもりだったのだが、何時の間にか鞄に潜んでいたのだ。

 気がついたのは、家から出て大分経った時だったので、諦めざるを得なかった。そして、彼も何故かあまり気にならなかった。

 揺れる鞄の中で教科書と一緒に詰まっているノートの気分はどんなものなんだろう?

考えるだけ無駄な空想。うつらうつらとそんな事を考えながら、省吾は自分の高校に向かった。

 

 

『やっぱり、今日はサボれば良かったとか思ってる?』

 席につくと、勝手にノートが鞄の中から姿を現した。まばたきをした一瞬に。

 予定表を見てから、開口(と言えるのか微妙だが)一番にアヤはそう書きこんだ。

 1時間目、数学。しっかりと小テストがある。

 しかし省吾はそれを気にした風も無く。

「そうだな……じゃあ、『願い』を使う。テストの答えを教えて」

『アナタが心の底から願っているならね』

 やれやれと省吾は肩を竦め、筆箱やら教科書やらを出す。

 まあ、実際のところはテストなど大して気には留めていないのだが……。

「ま、別にいいさ。どうせ余裕だし」

 教師にとやかく言われないため、勉強は怠っていない。

『……可愛くないわね』

「まあね」

 ふふんと笑う。

「赤松、君……。何しているの?」

 その時、後ろからいきなり声をかけられる。

 一番後ろの席で、他の席を見渡せる位置にいたため油断していた。

 今の自分はただのノートに向かって独り言を呟く馬鹿以外の何者でもない。

「あ……ええと」

 斎藤晴香。自分のクラスメート、だったと思う、多分。何で今に限ってロッカーに荷物なんて置くんだよ……。

 丁度、省吾の椅子の後ろには彼女のロッカーがある。絶妙のタイミングで、彼は彼女を見落とした。

「……?」

 晴香は、怪訝そうに彼を見る。確かに挙動不審なのは否めない。

「ああ……ええと、まあ、ちょっとね」

 なにがどう「ちょっとね」なのか、完全に意味不明な返答をする。省吾自身、訳が分からないのは承知の上だった。しかし、これ以上の返答が見つからなかった。まさか真実を語るわけにもいくまい。頭がおかしい人間だと思われるのはご免だ。

「……あれ、随分と綺麗なノートね?」

 省吾の答えに満足したわけでも無いだろうが、彼女はそれについては言及しなかった。

しかし、その質問は省吾にとってさらに都合の悪いものだった。

「ああ、新しく買ったんだ」

 それには無難な答えを返す事に成功する。

 良かった、それで何とか狂人扱いは免れた……。

 もう用は無いだろう、と思いまた机に顔を向きなおす。数学の教科書を鞄から出す。

だが、まだ背後から視線を感じた。振り返ると、晴香はまだノートを凝視していた。

「何?」

「いえね……このノート、何かアレに似ているのよね」

「アレ?」

「そう、知らない?一部のオカルトマニアでは有名なんだけど、チャットみたいに喋るノートがあるんだって」

 顔が引きつるのを感じた。何とかぎこちなく笑みを作り誤魔化そうとする。

 ノートには何かコメントがあるだろうか。それも気になった。

「そうなんだ……」

 出来る限り、愛想を良くした。ほとんど誤魔化しによるものだったが。

「そうだ、良かったら何処で買ったのか教えてくれない?」

 晴香は目を輝かしてノートを見詰めている。

「……斎藤さん、もしかしてオカルト物が好き?」

「ええ、そうよ……やっぱりいいじゃない!?都市伝説とか面白くて……」

「いや、そうじゃなくて、本気で信じてるほう?」

 珍しく、出来る限り言葉を選んだ。

「ええ、一つくらいは本物があってもねえ……」

 その「一つ」は目の前にあります。そう言おうか迷った。

 しかし、どうもそんな迷いは不用だったらしくて。

「あれ……このノート、何でこんな事が書かれているの?」

 閉じた筈だったのだが、しっかりとノートは開かれていた。

 

………

 

「……という訳なんだ」

 もう、隠す意味も無いか。しっかりと都市伝説の再現をしてしまっているノートを目の前にしては。

 省吾は今までの経緯を話すことにした。幸いにも、物的証拠には困らない。

 晴香はノートを全く気味悪がらなかった。

 普通、どうよ? まともな神経した人間だったら意思を持つノート見て目を輝かせるってのは無いよなあ。

 自分の事を棚に上げ、内心で愚痴る。

 やはり超常現象も晴香のオカルトマニア属性には勝てなかったらしい、と省吾は結論付けた。

 まあ、気味悪がって変な噂でも流されるよりはマシだけどさあ……。

 彼の危惧していた事は、晴香の場合には適用されない事を確信し、彼は少々安心して話す。

「よかったら、あげるよ」

『はあ!?』

 アヤの抗議は無視して。

「だってさあ、色々と付き纏ってくるし、願いったってあんまり実用性ないし」

 十行に渡って延々と呪いの言葉が綴られた気もするが、細かい事を気にするのはやめることにした。省吾はあえてノートに目を向けない。

 晴香は目の前のノートの文章を見入っている。少し目を離した一瞬の内に、文字はどんどん増えていく。

 どんな原理になっているんだ? とは考えるだけ馬鹿らしい。そういうもの、と理解するほかに無いだろう。

 もっとも、晴香の場合にはそんな考えは浮かびもしないらしい。ただ目の前のオカルト現象の集大成に目を奪われている。

「それで、さ……」

 省吾が切り出す。

「言っても誰も信じないと思うけど、コレの事は秘密にしておいてくれないかな?」

 幸い、今は自分たちに興味を向ける者はいない。いたとしても、訳の分からない話、程度の認識しか持たれていないだろう。

「何で?」

 晴香は不満そうな顔つきをする。彼女にとっては重大な発見だ。是非とも皆に公表したいのだろう。

『何で?』

 奇しくもアヤも同じに。

「何でって……僕はあんまり人から注目されたくないし」

「あ、ああそうね……」

 晴香は慌てて納得する。省吾の「いろいろ」については彼女は噂程度にしか知らない。しかし、その分、勝手に想像を膨らませて物凄い事になっているのだ。

 それに彼女は省吾とは今話したのが初めてに近い。極端に人の輪に入るのを嫌う性質を持つ彼には、一種の近寄りがたい雰囲気が生まれていた。

 今だって話しかけたのは黒いノートが目に入ったからに過ぎない。

 オカルトマニアである事を自他ともに認める彼女だから、黙ってはいられなかった、というのが真相なのだ。

「それじゃ……」

 何か省吾が言いかけた時、教室にチャイムの音が響く。

 会話は中断され、担任教師がいつもと同じにドアを開けて入ってきた。

 

『7』

 

 ホームルームが終わり休み時間になる。数学の小テストのために教科書を開いている者がクラスメートの大半を占める。

 それは晴香も変わらず、省吾は一人でノートを開いていた。

 ノート、というのはもちろん学校のノートではなく、アヤの事だ。

 周りの会話に紛れるほどの小声で喋っていたが、アヤには判別が出来るようで、会話は成立している。

「何か、随分と喋ったな……」

『そう?別にお喋りってわけでもないんじゃない?』

「そうでもないよ。あの15分くらいで、いつも学校で一週間で喋る量をこなしてしまったから」

『……相変わらず、暗いわね』

「まあね」

『あっさり肯定するあたりがさあ……』

アヤの溜息が聞こえてくるような気がした。

『で、さっきから何もしてないけど、テストなんでしょ?』

 話題を変える。

「うん、そうだけどね……。別に勉強なんて今更しなくても十分だし」

『相変わらずムカつくガキね』

「人の事をガキって……そっちは何歳なんだよ」

『オンナノコに向かって歳を聞くわけ?』

「っていうかオンナノコかどうかすら分からないし」

 アヤは沈黙する。答えたくない、と言外に云っているような気がした。

 そんなアヤの様子に気付き、省吾も何も言わない。

チャイムが再び鳴った。1時間目の授業が始まる。いつもと同じ毎日がリピートされる。同じ、という点においては一点の違和感があるのだが。

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送