Title of mine 

後編

 

『4』

 

 

 次の日。また普通に日が昇る。僕は普通通りに僕は制服を着て、普通通りの時間に家を出た。

 何も変わらない。昨日、帰るのが遅くなった僕に母は「何でこんなに遅くなったんだ」と言われた事も、些細な事でしかない

 昨日よりも、今日はさらに暑い。相変わらず無駄に太陽は輝いてるし、アスファルトの熱も強くなった気がする。

 あと少ししたら梅雨が来るのだろう。体育の時間が潰れてくれるから個人的にはとても好きな梅雨だが、僕以外の人間にはあまり好評ではない。

 坂にさしかかった。朝からここを登るのは疲れて嫌だ。

「あ、来たわね」

 少し進んで、本間と別れた横道まで行くと、後ろから声。

 振り帰ると、予想通り本間がいた。僕が来るまで隠れていたのか、それとも単に僕が気付かなかったのか。偶然か、それとも僕を待っていたのかは判らないけど、とにかく本間は僕を見て笑った。

「おはよう」

「あ、あはよう」

 何でここに? 僕の質問に本間は答えなかった。曖昧に笑うと、彼女は「行こう」と言った。

 並んでてくてくと歩く。ぼそぼそとどうでもいい事を喋った。何のつもりだろう、と思っていると、彼女はだしぬけに言った。

「学校、楽しい?」

 質問の意図は僕にはよく掴めなかったけど、取り敢えず、

「全然」

 と答えた。

 本間はすぐに「私もよ」と付け加えた。

 その後、僕らは無言だった。

 トラックが車道を通る。黒い排気ガスが鬱陶しかった。僕は少し顔をしかめたが、本間の表情は変わらなかった。

「……ねえ」

「何?」

 意を決した、という程のものではなかったけど、些細な何かを決めるように、

「今日、サボらない?」

「何で?」

「学校が嫌いなんでしょ?」

「そうだけど……」

「なら、いいじゃない」

 本間は、最初に会った時のようにある種の迫力を持っていた。

 僕は、どうしようかと悩んだが、「まあいいか」と結局は本間の提案に従ってしまった。

 

 本間は、行きたい場所があると言った。僕の返事は関係無くそこに行く事は決定しているらしく、彼女はすたすたと歩き出す。

 学校へ至る道とは逆方向。登校する生徒が通学路を逆送する僕らを見て、不審げな顔をしたが無視した。

 どんどん歩く。早歩きのようなペースで疲れたから、僕は「何でこんなに急ぐのさ」と本間に言った。

「ここ、ウチの学校の生徒が多く通るから」

 確かに通学路だ。しかし、あまり人は見えないけれど。

「今更だけどさ。何処に向かってるの?」

 浮かび上がった疑問は無視して質問する。

「……まあ、ちょっとね」

「…………?」

「別に、変な所じゃないわよ」

 怪訝そうな僕を見て、本間は慌てて弁解した。

「別にいいけどさ」

「ま、後少しで着くから……」

 それきり、本間は喋らなかった。僕も特に何も喋らず、僕達は制服のまま無言で何処かに向かっていた。何か漫画みたいで面白かった。

 

 

「ここ……?」

「そうよ。綺麗でしょ?」

 僕達は住宅街の中に入り、その中心部にある公園に入った。造られてから結構な年月が経っている筈なのだが、修繕を頻繁になされているからか、今でも整然としていた。  

平日の朝という事もあって、人はまばらだ。精々、朝の散歩のお爺さんくらいしかいない。

 取り敢えず、僕はそこらへんのベンチに腰を下ろした。本間も僕の隣に座る。       

 あと数時間したら、赤ちゃんを連れた主婦や、幼稚園児くらいの子供達で賑わうのだと本間は言った。

「何でこんな事を知ってるの?」

「まあ、いろいろとあってね」

 また曖昧に微笑むだけで答えない。そういう時、僕は追及しないようにしている。

「で、何でまた態々学校をサボってまで?」

「……最後に」

「へ?」 小さな声だったから、聞き取れなかった。

「いえ、ちょっとサボりたい気分だったからね」

「そんな事でサボるのかよ」

 一緒にサボっている僕が言えた事ではない。僕はどうやって親に言い訳をしようか考えた。

「……あ、言い訳をどうしようって考えてるでしょ」

 当りだ。随分とカンがいい。

「……まあね。今までこんな事したことなかったから……」

「私は結構あったけど。そう言う時は、適当に講習電話から『風邪ひいた』って言えばいいんだよ」

「それでいいわけ?」

「いいんじゃない?」

 本間はくすくすと笑う。

「結局、教師っていったって、キンパチ先生ばっかじゃないのよ」

「それはそうだ」

 やる気無さそうな担任の姿が脳裏に浮かんだ。修学旅行の班決め。……ってそういえば、

「あの『アナタを更生させます』ってやつは、どうなったの?」

「今も実行中よ」

「学校をサボるのもレッスンのうち?」

「まあね」

 特に悪びれた様子も見えない。そういう時は特に、彼女が何を考えているのか分からないのだ。

 風が吹く。木に付いている葉っぱがガサガサと揺れる。ポイ捨ての空き缶が僕の足元に転がってきた。僕はそれを軽く蹴る。空き缶はまた逆方向に転がっていく。

 さっきまでとは打って変わって、本間はやや所在無さげにそんな空き缶を見詰めていた。思いつめたような、吹っ切れたような、何とも不思議な表情だった。

「……ねえ」

 空き缶に視線は固定したまま本間は言う。僕は彼女の横顔を見た。

「……死にたいって、思った事ある?」

 唐突な質問だった。僕はどう答えていいのか分からず、黙っていると、

「私は、あるかなあ……。大石君にも、あるよねえ?」

やけに明るい調子で。

「……どういう意味?」

「そのままの意味だよ。ヒトと上手く付き合えず、一人だけ離れ小島にいるような、そんな状態が嫌になった事あるでしょ?」

 私は、最近はいつもそう思ってるかな。本間はそう付け加えた。

「……YesかNoかで訊かれたら、Yesになるかな」

 逃げとも取れる、どっちつかずの答え。

「そうよね……なら、私達は仲間よ……」

 また微笑む。しかし、今回の笑みには自嘲のニュアンスが込められているような気がした。

 暫く沈黙。僕達は黙って空き缶が転がるのを眺めていた。その時、

「ミチル……お前、学校はどうしたんだ!?」

 後ろから声がした。本間は少しびっくりしたようで目を丸くした。その表情が、何となく面白かった。

 

 振り向くと、そこには男がいた。男、と一言で表記するしかないような、際立った特徴の無い人間である。

 この人は本間の家族だろうか? 彼女の様子からそんな気がした。

「ええと……それは」

「お前、最近学校に行ってないのか?」

 本間の言葉を遮る。

「……行ってるわ。今日は特別」

「……そうか」

 で、そっちの兄ちゃんは? 男は僕を一瞥してから質問した。

「友達」

 そっけなく答える。そんな本間の横顔は無表情だった。

「……そうか」

 男はさっきから、「そうか」を連発している。そんな風に冷静に男を観察していると、僕はまだ彼に挨拶すらしていない事に気付いた。

「……大石アキヒロです」

「おお、私はミチルの父だ……よろしく」

 それきり、本間の父は僕達の事を深く詮索しようとしない。普通は、怒るなり心配するなするもんじゃないかと思う。

 まあ、本間にもいろいろあるんだろうな。

 僕は適当にそう片付けて、「で、どうする?」と本間に訊いた。「どうする」とは無論、今からでも学校に行くかということである。

「……行かないわ」

「まあ、どうせ今更だからね……」

 本間の父は、あまりよろしくない方向に向かっている僕達の会話を聞いているものの、口を出そうとはしない。

「じゃあ、何処に行く?」

 そこで、初めて本間の父は、

「良かったら、ウチに来ないか……ミチル、今は母さんはいないから」

 と言った。僕は「はい」と答える。本間も控えめに頷いた。

 

 

 本間の家は、公園からさほど離れていない場所にあった。本間の父の容貌に合わせたかのように、背景の一部に埋没している一軒家で、少し古ぼけている。

 本間の父は、玄関のカギを空けて中に入る。続いて本間が、最後に僕が入る形になった。

「母さんは今日は会合で夜中まで帰ってこないから……」

「……そう」

 大石君、行きましょ。と、本間は僕を促して階段を上る。二階には本間の部屋があるらしい。本間の後を追おうとしたが、

「大石君、ミチルと……」

 本間の父が、僕を止めた。

「友達で、いてやってくれ」

「……はあ」

 今のわけわからない状態も、一応は友人関係なのだろうか。僕は、そんな事を考えながら生返事をした。

「あいつは、ああいう子だから……」

 一人で納得した風に本間の父は語っている。こういうの、苦手だ。

「……そういえば」

 ふと、思いついた。

「彼女、なんだかの宗教の関係者だって言ってました」

 お互い、今では忘れかかってる気もするけど。

 本間の父は、目を見開いて、

「……その事を、あいつが言ったのか?」

「ええ、本気なのかはよく判りませんでしたが……」

「本当と言えば、本当だ……」

「…………?」

 その時、二階から足音。

「大石君、何やってんのよ」

 いつまで経っても僕が来る気配が無いので業を煮やしたらしい。僕は「今行く」と言って、本間の父に礼をした。質問の答えを聞きそびれたが、仕方ないなと一人納得した。

 

 

『5』

 

 

 結局、ナントカ教の事は尋ねる機会は来なかった。別にどうでもいい、といえばそうなのだが、

 なんだか知らないが、気になったりもした。

 

 昨日は、帰った途端に母が怒鳴りつけてきた。どうも学校からしっかりと連絡が行っていたらしく、僕のサボりは筒抜けだったようだ。鬱陶しかったが、まあこちらに非があるわけだし。そう思って右から左にさようならする程度には聞いておくことにした。

 そして、絶対に行きなさいと宣告された今日、僕はいつも通りの通学路をてくてくと歩いている。

 坂に差し掛かっても、本間はいない。彼女も今日は普通に学校に行く気だろう。

 そう思って僕は一人で坂を登っていると、目に付いたものが。

「『ガイア教』……?」

 確か、本間が言っていたヤツだ。それの宣伝ポスターが塀にペタペタ張られている。その家の住人の許可を取ったのだろうか? と思えないこともなかったが、もし無断だったらすぐにはがされて終わりだろう。だから、こんな事は些細なことだ。

 どうも、新しい入信者を集めるイベントを開催するらしい。馬鹿らしさを極めたような綺麗事と一緒に、そのイベントの会場が書いてある。 

 僕は暫くそれを眺めていた。学校に向かう他の生徒達は、そんな僕を見て怪訝な顔をする。すると、

『主催者 教祖 本間ナオコ』

 どこかで聞いたような名前が出てきた。

 

  

 学校が終わった。さあ、とっとと帰ろう。

 鞄に教科書やらを無造作に放り込み、教室を出た。隣のクラスを覗いてみようかとも思ったが、何となくやめた。本間は今日、あのナントカ教に行くのかどうか気になるといえばそうだったのだが。

 所詮は他人事。僕には全く関係の無い事……。 

 元々、向こうから一方的に押し付けられたような縁だ。無くなっても一向に問題無いのだ。

 だから、僕は下駄箱に直行した。

 帰り道にも、本間は現れなかった。今まで殆ど毎日のようにいたので、少し気になったが、それもどうでもいい事なのだと、自分を納得させた。

 

 

 また、一日を消化した。今日も忌々しく快晴。そんな日はカーテンを閉め切ったまま部屋で過ごしたい。

 しかしまあ、ほぼ毎日のように繰り返すこの問答の答えは、いつも決まってるわけで。

 制服を着て、はやく学校に行こうかと外に出た。

 後少しでプールの季節だ、やだなあ……。と思いながらも、僕は一定のペースのまま歩く。

 そんなこんなしているうちに、学校は目前に迫っていた。行きたくないと思いながらも、確実なペースで足は昇降口に向かっていく。

 

 ホームルーム。チャイムの音と同時に、担任がドアを開ける。いつもの事ながら、まるで見計らったかのようなタイミングだ。外で待っていたのだろうか?

 僕は頬杖をついてやる気なさげに話を聞いていた。話の内容は、全く把握してない。

「……それと」

 担任は、「心当たりがある人は」と続けた。何の事だろうと僕は思い、顔を上げると、

「隣のクラスの本間ミチルさんが、昨日から行方不明になっているのです。昨日は様子を見ましたが、全く音沙汰はありませんでした。皆さん、本間さんの事で何か気になる事があったら、無記名でもいいので今から配る紙に書いて下さい」

 衝撃だった。確かに、昨日は一度も見ていないけど……

 まさか、と思うと同時に、やっぱそうか、という風に納得したりもした。

 本間の様子は、最初からどこか変だった。第一、僕に自分から話しかけてくるという事自体、おかしな事なのだ。わざわざ意味不明の理由までつけて。

 紙が前の席から送られてきた。一枚取り、残りを全部後ろに回すと、僕は筆箱からシャーペンを取り出す。その時、何かを書こうと思ったのは確かだったが、

 結局、何も書かなかった。

 僕は、彼女の事なんて何も分かっちゃいないんだから、書く資格なんて無いと思った。僕という人間は、そう考えるべきだと思った。

 

 この日の授業は、いつにも増して集中できなかった。理由は分かっている。そんな事、言うまでも無い。

 ぼんやりと空を眺める。青い空も白い雲も、僕を嘲笑っている気がした。そいつらは、とても高くて広いところにいて、こんなところに座ってる、僕を……。

 無論、気のせいだというのは考えるまでも無い。空に意思なんてあるわけないのだから。

 けど、僕は「頭が痛いので保健室に行ってきます」と言った。自分から何かを言うのは、とても久しぶりだった。 

 

 

 保健室に行くフリをして、靴を履き替えて学校を出る。何をしに行くのか、自分でも説明できない。だから、誰かに見つかっても言い訳のしようがないと思った。

 多分、教室に居たくなかったんだろう。居なくてすむ『理由』に本間の事を利用しているだけだ。決して、探すためではない。

 まず、どこに向かうかを考える。

 行方不明、というくらいだから、そこらへんにはいないだろう。かといって、とても遠くでは探しようも無い。僕一人では確実に無理に決まっている。

 では、どこに行く? 一番最初に思いついたのが本間の家だが、流石にそれは無いと思いなおした。家の中にいて行方不明も何もないだろう。

 次に思いつくのは、あの公園だが、それも有り得ない。自分の家から徒歩五分と離れていない場所に家出をする馬鹿がいてたまるか。

 あの映画館。それは有り得るかもしれない。適度に離れているし、繁華街だから雑踏に紛れ込む事が出切る。それに、家出の子供が行くのは友達の家か映画館と相場が決まっているのだ。それに本間の友達を僕は知らない。

 行ってみよう。決心して、財布の中を見る。電車に乗るだけの金はある。大丈夫だ。

 鞄も持たずに、突発的に僕は学校を出た。後でいろいろ煩い事になりそうだったが、何故か気にならなかった。

 

 

 30分後。前に行った時は、本間の案内に任せていたためうろ覚えだったが、何とか辿りついた。

 相変わらず、古ぼけた建物だ。そのボロさ加減は風が吹いたら崩れ落ちてもおかしくないほどだった。

 ガラス張りのドアを開け、中に入る。

 中央ロビーの中をきょろきょろと見まわす。本間はいなかった。

 従業員の人に断わって、スクリーンのある部屋を覗かせてもらったが、そこにもいない。……ハズレのようだった。

 もう用は無いと、立ち去ろうとしたその時、

「あなた……?」

「……なんですか」

 声が聞こえたので振りかえると、そこには売店のおばさんがいた。売店のレジを空にして、ここまで追いかけてきた様だ。別に客などいないのだから問題は無いと思うが。

「いえね、あなた先日ここに来てくれたでしょ? 女の子と一緒に」

「まあ、そうですけど」

 何でこんな事を訊く? という表情を作った。

「その時の女の子が、今日ここに来てくれたのよ」

「今日……!? 何時頃ですか?」

「つい2時間くらい前よ」

 入れ違いだったか。僕は心の中で舌打ちした。

「……そうですか」

 その時、その子の様子は変じゃなかったですか? と訊いた。

「変と言えば変だったわね……歩きながら、何かジャラジャラ音のする瓶をじっと見詰めていたわ。あの様子じゃ映画の内容なんて頭に入ってないんじゃないかしら」

 何か、嫌な予感がする。瓶の中身もロクな物じゃなさそうだ。

 それにしても、そんな子がいたら少しは不審に思わないんだろうか? そして、明らかに今は学校の時間だ。

 そんな考えが顔にも出ていたのか、おばさんは弁解するように、

「いえね……ここってよく学校をサボりに来る子が多いのよ。だから、あんまり気にも留めなかったんだけど」

 僕は、そうですか、と言って外に出た。

 行き先は無くなった。次にどこに行くべきなのか全く心当たりが無い。

 取り敢えず、ここにいても仕方が無いと思い、僕は駅へと向かった。

 電車に揺られながらも、どうしようかと考える。そのまま見つかりませんでしたで帰るのは、どうも嫌だ。しかし、かといって解決の糸口は全て使い果たした。

 結論、どうしようもない。もう自分の出来る事はやりつくした。

 だから、仕方が無いって……

 そう思うしかない現状だった。

 

 

 また、母に怒られた。そりゃ授業を途中で抜け出すとこうなるというのは分かっている。だから別にそれは構わないし、予期できた事である故に大したショックでもなかった。

 それよりも、僕にとって大切な事は。

「…………」

 僕は無言で自室に篭った。そして、右手に握られたレポート用紙を広げる。思いきり握ってしまったため、それはくしゃくしゃになっていた。中身は、まだ読んでない。その簡素で無愛想な手紙の、差出人の名前だけは分かっている。

「『本間ミチル』」

 口に出して、確認してみる。

 確かに彼女だった。わざわざ授業を抜け出してまで探したというのに、僕の家のポストにそれは投函されていた。骨折り損とは正にこの事だと思う。

 外はもう暗くなっていたため、中身までは読めなかった。

 僕は机に座って、卓上ライトで手元を照らす。部屋の電気を付けているが、それだけでは少し暗かったのだ。

 暫く、ただぼうっと手紙を眺めた。決して下手糞ではないが、かなり乱雑な字だった。僕の頭の機能の八割くらいは死んでいるようで、意味は入ってこない。ただ単語だけを追っていく。

 少しは落ちつけ……。

 自分を鼓舞すると同時に、冷静になろうと努めた。

 畳まれているレポート用紙を開く。それには、こまごました字で、ギリギリ判別できる程度の走り書きがびっしりと書かれていた。

 

 

『6』 

 

 

「……本間」

 彼女の名前を呼んだ。口に出すのは、滅多に無かった気がする。

 本間は、手の平サイズの瓶を握り締め、僕の目に前に立っていた。暗くて表情はよく判らないが、マイナスの感情を顔全体で表現しているのだろうと思う。

「来てくれたのね。ありがとう」

 口調は、あくまでもにこやかだった。微笑さえ浮かべていそうな声音で、僕に応えた。

「手紙、読んだよ」

 それさえ見つけてれば、遠くまで探しに行く必要はなかったんだけどね。と付け加える。本間は、ありがとう、と言った。

「死ぬの?」

「ええ、そうなるわ。だって、生きていてもしょうがないもの」

「……そう」

 ここは止めるべきなのだろう。そのために僕はここに来た。その筈なのだ。

「こんな時でも、何も言わないでいてくれるのね」

 本間は笑った。ヒトという生物は、案外、悲しくても笑えるらしい。

「手紙を読んでから、考えたよ」

「何を?」

「何故、本間が僕に近づいてきたのかを」

 感情を出さないよう、細心の注意を払った。

「僕が、何も言わないからだろ?」

 本間の笑みにつられたのか、僕も笑ってしまう。

「本間がどういう奴でも、僕なら詮索しないし、僕なら気にしないと思ったから」

 死ぬ前に、ちょっとした想い出を作るにはもってこいの人間だったから。

「……そうよ。私は、もう生きていたくなかったけど、この世界で、私には何も無いのが辛かったから」

「そこで、僕を何とか利用しようと思った?」

「ええ……」

「そして、まんまと利用された僕は、本間が死んだ後に何を思ったんだろうな……」

 自分自身への、質問だった。何も思わないのか、それとも悲しむのか、怒るのか、鬱陶しい奴がいなくなって喜んだのか。それとも全ての感情がごっちゃになって、わけわからない事になるだろうか。

「……ごめんなさい、けど」

 本間は瓶の蓋を開けた。

「死にたい……?」

「うん」

「止めてほしい?」

「いいえ。そのまま逝かせて欲しい」

 彼女に死んで欲しくない、という気持ち。彼女なんてどうでもいい、という気持ちに少しくらいは勝っているから。

「僕は、止めたい」

「そう。けど、私の決意は変わらない」

「……一つ、訊かせて欲しい」

「何?」

「本間が死ぬのは……お母さんへの復讐のつもり?」

 手紙に書かれていたこと。

「結局は、そうなるわ……伝説の『神の子』が死ぬなんて有り得ない話だからね?」

「『神の子』、か。もう少しマシな名前は無かったのかな?」

「そうね。私もそう思うわ」

 二人して、くすくす笑った。

「……本間が、そのカミサマ一矢報いたいのなら、止めない」

「ありがとう」

「けど」

 僕は続けた。

「そんな事じゃ、一矢報いる事にはならない」

「…………」

「本間のお母さんは、また新しい『神託』が下ったとかで、何かを祭り上げて悦に浸るだけだ。それでいいの? そのカミサマにとって、本間の変わりは沢山あるんだ」

「けど、私に出来る事は」

「それしかないの?」

 僕が、本間だったらどうしていただろう。わけわからない宗教に生まれた時から入れられて、意味不明な『神の子』とかいうカミサマモドキになっていたら。自分に縋りつく信者の目が鬱陶しい。祈りの言葉は雑音でしかない。僕も死にたくなっただろうか?

 別にどうでもいい……と、言い切る事が僕は出来なかった。

 お互いに深入りしすぎたのだ。僕は彼女に興味を持ちすぎて、こんな事をしている。今ごろだったら部屋でだらけてる時なのに。

 彼女も僕に縋りすぎて、僕の言葉なんかに真剣に耳を傾けている。死にたければいつでも死ねる状況にあるのに。毒の入った瓶が手の中にあるのに。

 本間は硬直したかのように、体を止めている。口も動かない。静寂が辺りを包む。

「……僕は」

 静寂を破ったのは、僕だった。

「今まで、人に関わらないようにしてきた」

「……知ってるわ」

「だから、本間が死ぬって手紙をくれた時も、無視する筈だったんだ」

 けど、僕はここにいる。

「けど、僕は……」

「ありがとう……本当に」

 僕の言葉を遮って、本間は言った。

「もう、これ以上は、決心が鈍ってしまいそうだから……」

 瓶を強く握り締め、

「逝くわ。けど、あなたの事、きっと忘れない」

 一気に飲み干した。僕は慌てて本間の手から瓶を弾き落とそうとしたが、遅かった。瓶は空になっていた。

 本間は、顔が真っ青になり、体を支えるだけの力が無くなって、膝をついて、仰向けに倒れて……。

 僕は思わず目を瞑った。今、自分の頭の中に展開されている光景が、目の前にもある筈だから、直視する事が出来ない。

「……あれ?」

 しかし、聞こえてきたのは、本間の間抜けな声だった。死人は声を出さない。となると、

「……死んだんじゃ、無かったのか?」

 普通に本間は立っている。即効性の毒を飲んだ人間の反応ではなかった。

「これ、中身が違う……」

 本間は、瓶を僕に差し出した。確かに空になっている。

「…………」

 絶句する僕を認識しているのかいないのか、本間自身も何が何だかといった顔で。

「これ、ただのコーラ。炭酸はもう抜けてたけど」

 なんかもう、笑うしかなかった。

 僕と本間は、二人して馬鹿みたいに笑った。

 多分とても近所迷惑だったと思う。夜に、住宅街のど真ん中の公園で騒いでいては。

 

 

『終』

 

 

「あなたが、本間の瓶の中身をすりかえたんですか?」

 僕は、本間の家に来ていた。しかし、今は本間はいない。ちょっとコンビニまでジュースを買いにいっている。

 もう夏休み。本間のお父さんも休みが多くて、本間の家に行くたびに僕を歓迎してくれる。

「あの夜の事は、ありがとう」

 質問には答えない。しかし、自慢げに笑っていた。

「いえ、僕も、少しは変わった……かなあ? と思ってます」

 だから、僕もお礼を言いたい。そう言ったら本間のお父さんは「そうか」と言った。

「やっぱり、女の子を救うのにオッサンというのは画にならないかな」

「僕だって画にはなってはませんよ」

 結局、瓶の中身が本物だったら本間は死んでいた。

「本当に助けたのは、僕じゃない」

「そんな事か」

 些細な事さ、と加える。

「ミチルは、君に救われたんだ。それが答えなんだよ。俺はちょっと君の手助けをしただけ……おっと」

 ドアの開く音。本間が帰ってきた。

「話は以上だ。大石君、ゆっくりしていってくれ」

 それだけ言うと、本間の父は自室に入っていった。

 その背中を見ながら、僕は思った。あなたは、ただの平凡はオッサンじゃありません、凄いヒトです。初対面の時、いろいろ思ってごめんなさい。

「大石くん」

 本間は、僕にコーラを差し出した。あの時、本間が飲んだ物と同じ銘柄だった。

「ありがとう」

 いろいろと、ありがとう。

 本間も、ありがとうと思っているだろう。少なくとも、彼女にも味方はいたんだ。僕が、彼女の味方でいたいから。だから。

「じゃあ、上、行こうか」

「そうね」

 今日は、本間の部屋でだらだらゲームでもして遊ぼう。やってる事は変わらないけど、なんか変わってる気がする。

 最近は、太陽が不快じゃなくなったりもしていた。

 

 僕と本間の関係は、恋人なんかじゃない。同士であり、仲間であり、同盟だ。

 まだ僕達の周りには、分厚い殻が迫ってきているから、馬鹿でかいハンマーでそいつを叩き割るんだ。

 一人では重くて持てないけど、二人なら何とか持てる。

 そう思うから。

 

 

<完>

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

どうも……kazamaです。

オリジナル短編の第四段にあたるコレ、何というか、その……

十年後とかに見返した時、パソコンを窓から放り投げたくなったりするんでしょうね(笑

あるいは、奇声を発して部屋中を駆け回るとか、パソコンのHDを叩き割ったりとか。

まあ、その、若気の至りって奴です。イタいです。作品がどうこうっていうより、この小説の為に二週間近くもの時間を大真面目に費やした自分が。

全く、少しは勉強でもすりゃいいのに……。このあとがきを書いている時点で、あと一ヶ月を切っているのに。模試が(死

逝ってきます。

 

内容に関しては、前編を公開した時のBBSにも書きこまれていましたが、

バンプオブチキン「jupiter」の「title of mine」からタイトルはそのまま取りました。内容もかなり影響を受けています。とてもいい曲なので、良かったら聞いてみてください。

主人公、ヒロインの名前は、乙一著「暗いところで待ち合わせ」(幻冬社文庫)の主人公、ヒロインを全く同じです。苗字が漢字で名前がカタカナというのまで同じです。ちなみに、kazamaはそういう名前の付け方を「EVA流」と密かに呼んでいるんですが、それはkazamaだけでしょうか?(笑

 

……なんか、あとがきの筈なのに愚痴っぽくなってるなあ。

 

 

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