幽霊と僕


『1』

 こういう場合、僕はどんな顔をするべきなのだろうか。
 しばし考え込んでしまう。
 いや、本来はこんなアホらしい事を考えている場合じゃない。一刻でも早く大声でも上げて逃げ出すべきだろう。
 しかしなあ……何というか、これは。
「……何で怖がらないのよ」
 口調から判断するに、女性であろう幽霊は忌々しげにそう言った。
「ユーレイ……ここまで捻りがない、オーソドックスな幽霊なんて……」
 彼女を眺める。その容貌はゾンビそのもの。
 肉は腐り首は取れかかっていていたが、目が二つに口が一つあって、一応両腕が残っていることだけがかろうじて人間の面影を残していると言ってもいい。
 腐臭は無いが、暗がりでこいつを見たらかなり怖いだろう。
 が、それだけなら彼女を幽霊と断定するには足りなかった(最近はウイルスでゾンビはできる)
しかし、彼女には幽霊だと自負するに十分な特徴があった。
「足も……無い。うん、本物だ」
「だから、何であんたは冷静なの!?」
 彼女は僕を怒鳴りつけた。
「いや、別に……幽霊って分かっても現実感無いし」
「のんきなものね」
 はあ、と溜め息。
「私があんたの魂を奪いに来たとか、変な新聞と届けに来たとか、そうは考えないの?」
「ん……そうだったら、もう足掻いてもしょうがないんじゃないの?」
 彼女は落胆を隠そうともせずに。
「今日の獲物は、大外れ」



しかし、何で僕の部屋はこんな状況になっているのだろう?
いきなりやってきた幽霊に何だかんだと言われる筋合いなど無いのに。
事の発端は、こうだ。


 僕は、いつもと変わらず、部屋で絵を描いていた。
 絵を描く、というのは僕の趣味であり、夢だ。将来はこれで生活していきたいと密かに考えている。馬鹿にされそうで誰にも言えないけど。
 4畳半程度の部屋は、窓を閉め切っていると暑くてたまらない。エアコンなどという贅沢品を持たない僕の部屋では、夏は地獄だ。
 だから、当然部屋の窓を開け広げる事になる。キャンパスの横にある窓。カーテンと一緒に目いっぱい開けた。
 しかし、どうもそれが間違いだったらしい。
 何というか、まずかった。草木も眠る時間。丑三つ時。
 やはりそんな時間に幽霊というものは活動するらしい。
 獲物を探していた彼女の目に、僕の部屋の明かりが見えたわけなのだろう。
 そして今に至る。



「……あのさ」
 彼女はすっかり僕の部屋に入り込んでいる。
 僕の絵をジロジロ見ては一人で頷いてたり、絵の具を勝手にいじって遊んでいた。
「君、何しに来たの?」
「何しに……?」
「いや、だからさあ、用も無く居座られるのははっきり言って邪魔なんだ」
 彼女は心外といった顔で。
「幽霊のやる事なんて一つしかないじゃない」
「知らないよ、普通」
「ヒトを怖がらせるに決まってるわ」
 確かに、そうか……な?
「ふうん……」
「ふうん、ってアンタねえ……何で冷めた反応しかしないのよ」
「だって、怖くないし」
 現実感が無さ過ぎた。夢で通るほどに唐突。
 僕の言葉を聞いた彼女は、血で真っ赤に染まった顔をさらに赤くして。
「怖くない!? そんな侮辱、生まれて初めてだわ……」
 金切り声を上げ、窓から飛び去る。
 本当に唐突だ……。明日は来なければいいけど。



 時計の秒針がチクタク動く。それ以外の音は隣の家の風鈴とか酔っ払いの声とか、そんなものだけ。
 もう日付はとうに新しくなっている。彼女が来るならこの時間だ。
 しかし……今日は来ないな。よかった。
 コンクールの締め切りまであと一週間。それまでには何としてもこの絵を仕上げなければならない。
 下書きは終わった。しかし、どうも絵の具を使って描くとなるとうまくいかない。
 どうしようか……。僕は筆を止めた。
 キャンパスを睨む事10数分。チクタクと秒針が動く。
 それにしても、今日はやけに時計の音が気になるなあ……。
 一度考えると、さらに気になってしまう。
 チクタクチクタクチクタク……。
 ああ、うるさい!
 僕は後ろにある目覚まし時計を見た。すると。
「こんばんは〜」
 時計が生首になっていた。しかも喋っている。
 しばし、硬直。
 どんな反応をするべきだろうかと思索。
 何か昨日と同じパターンだ。
「……ねえ」
 痺れを切らした生首が言う。
「少しくらい、驚いてくれてもいいじゃない」
「……何だかよく分からないけど、ごめん」
 ぶつぶつと何か呟きながら、生首は浮かぶ。
そして窓の外から胴体が現れてそのまま接続。見事な合体だった。
「幽霊って、いろんな事ができるんだ」
 思わず呟いた。
 まあね、と彼女は自慢げに笑う。
「プロだからね」
「幽霊のプロ?」
「人を怖がらせるプロよ」
「ふうん……」
 なぜ幽霊が人を怖がらせなければならないのか全く分からないが、僕は頷いておいた。
「で、今日も僕を怖がらせるために?」
「ええ」
「けど、あんまり怖く無かったよ。ちょっと驚いたけど」
 そうみたいね、と彼女は苦々しく。
「じゃあ、そういうことで、さよなら」
 僕は絵に向き直った。
「ちょっと待ちなさい!」
 喚き声が耳に響く。
「何でアンタは私を怖がらないのよ……」
 そう言われても、自分でもよく分からない。
「……さあ? なんでだろう」
 本当に、何でだろう。
 頭の中では『これは怖いものだ』と分かっているのに。
「……そういうすっ呆けた態度がムカつくのよ」
「じゃあ僕のところに来なければいいのに」
「そういう訳にもいかないわ。ここまでコケにされたとあっては幽霊の沽券に係わるもの」
「ところでさ」
「何?」
「幽霊って……何?」
「はあ?」
 僕は彼女を見据えて。
「何で人を怖がらせるの?」
 素朴な疑問だった。
 しかし、彼女の答えは。
「幽霊だからよ」
 というあんまりな物だった。
「いや、だから、その幽霊ってものがさ……」
「そんなこといわれても……ねえ?」
 彼女は取れかかっている腕を組んだ。
「正直、考えたことも無かったわ」
 なぜあなたは生きている? そんな質問とそれは同じ、と彼女は言った。
「ふうん……」
 僕は黙った。
 彼女も埒が明かないと思ったのか、窓から帰っていった。
 またね、という言葉は不吉といえば不吉だった。



「ねえ、何であんたは絵を描いているの?」
 次の日。
 彼女はそう言った。
 
その日も彼女は中々の趣向を凝らして僕の部屋に登場した。
部屋中の家具がガタガタ揺れて、見事なポルターガイスト現象だった。そしてクライマックスには電気が消え、なぞの呻き声。
 確かに怖い。けどさあ……前日に幽霊から「またね」と言われていたらもうアレだろう。心の準備は完全に整ってしまう。
 しかも、彼女が基本的に無害であることは分かっている。怖いはずも無い。
 で、そんなこんなで、家具を元通りにするのに30分ほど掛かった。
彼女は幽霊だからという理由で手伝ってくれなかった。自分でやったくせに。

「さあ……好きだから、かな?」
「私ね、昨日あんたに言われた事を考えてみたの」
「何で怖がらせるのか云々って奴?」
「ええ。それでね……」
 一度、彼女は言葉を切った。
「好きだから、って結論になったわ」
 あんたと同じにね、と続ける。
「はた迷惑な趣味だね」
 地震の直撃を食らった身としては、そう言いたくなる。
そうでなくとも絵の進行は遅れているのに。
「キツいわね」
 彼女は苦笑した。
 僕は黙って筆を動かしていた。
「じゃ、今日のところはこれで帰るわ」
 また窓から出て行く。今日のところ、ってことは明日も来るのか……。
 
しかしどうだろう、僕の絵を描く理由。それは。
 絵は好きだ。うん、それは胸を張って言える。
 けれど、それでいいのだろうか? はた迷惑。自分で言った言葉が圧し掛かる。
 周りの人に迷惑をかけている自覚はある。
 僕も、やっている事のレベルは彼女と同じなのかもしれない。
 けど。
 今すぐ絵をやめる、なんて選択肢は思いつかない。
 たとえ誰にどんな迷惑をかけようとも、それだけは譲れなかった。
 キャンパスを睨む。
 題材は、何ということもない……窓から見た、景色。
 絵の中の時間も夜だ。だから黒をベースにした背景に、住宅がずらずら並んでいる。
 我ながらいい絵だ、そう思っておこう。
 だから、決して無意味じゃない。うん。そういうことにしておこう。
 疑問を吹き飛ばすように、僕は首を振った。



 昨日の事を気にしていたのか、彼女は静かに登場した。
 静か、といってもしっかりと努力はしている。
 キャンパスから彼女の顔が滲みあがる。そして全身が登場して、絵から浮き出てきた。
「どう?」
 開口一番、彼女はそう言った。
「……絵、汚してないよね?」
 僕は絵を隅々までチェックする。大丈夫だ。
「相変わらず……ええ、もういいわ」
「今日は静かでよかったよ。掃除しなくてすむ」
「……ありがと」
 彼女は肩を落とした。
 お互い何を言うでもなく時間が過ぎる。
彼女が何かをつぶやいたが、僕には聞き取れなかった。
 いつの間にか、幽霊はいなくなった。随分あっさりとした退散だな、と思った。



「ヒトを怖がらせるにはね」
 次の日。彼女は窓から飛んでくるのを除けばごく普通に登場した。
 やあ、と片手を挙げて挨拶する。もう完全に余裕だった。
「大切な物を、無くそうとすればいい」
「え?」
 しかし、どうも様子がおかしい。
 静かすぎる。
 幽霊が静かだというのは別段変わったこととも思わないが、相手はあの彼女だ。常識で測ることは出来ない。
もっとも、幽霊自体が非常識の産物だが。
「何だよ、今日は?」
 彼女は答えない。
 返事代わりに僕の筆を持ち上げて、そして。
絵の具を僕の絵に塗ったくった。
「……!」



・・・・・・
・・・・・
・・・・
・・・
・・



 冷や汗が頬を伝う。
 僕はゆっくり瞬きをして、辺りの状況を確認する。
 まず第一に、絵。
 そして幽霊の彼女を見つけようとした。
 いない。
 どこかに隠れているか、帰ったか。
 どうだか知らないが、どうでもいい。
 問題は絵だ。今日から書き直しているのでは確実にコンクールに間に合わない。
 キャンパスに顔を向けた。
 そこには――
 何も変わらない、絵があった。
 ……一体、どういうことだろう?
 僕は事情が飲み込めず困惑する。
 絵は依然としてここにあり、僕はまるで夢でも見ていたようだった。
 そうだ、夢?
 ならば納得だ。夢なら何が何でもかまわないのだ。
 そうか、夢オチか、よかった……。
 何だか泣けてきた。
 皮肉とかそういうのは抜きに、本気で。
彼女は今日はもう来ないのだろうか。
 今来られたら困る。
 こんな顔を見られたくない。
 暑いけど、しっかりと窓を閉め切っておこう。そしてもう寝よう。おやすみ。



「あたしの勝ちね」
 彼女は開口一番にそう言った。
「何がさ」
「だって、あんた怖がったでしょ?」
「だから、何の話?」
「昨日、あんたの見た夢の話よ」
 僕は黙った。彼女は得意げに続ける。
「私は、好き勝手に他人の夢を弄れるの」
「……随分と、悪趣味だね」
 彼女は、だって幽霊だから、と意味不明な言い訳をして。
「けど、あんたは怖がった。自分の絵が無くなるのを」
「そりゃ……ね」
 僕は絵を見た。無事でよかったと、心底思えた。
「…………」
 彼女は、そんな僕を黙って眺めている。その姿は、何と言うか。
「もしかして」
「何?」
「僕と君って、案外似たもの同士なのかもしれない」 
 彼女は笑った。僕は笑わない。
「はた迷惑なところとか、特にさ」
 僕は筆を置いた。
「それを自覚しても、やめないところとか」
 何を言っているのか、自分でもよく分からない。
「だからさ。これからもよろしく」
 意味不明に締めくくる。幽霊は、一瞬だけ呆れた顔をして。
 次の瞬間には、笑顔で「そうね」と答えた。

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