幽霊と僕


『2』



「……ねえ」
 幽霊は、持ってきた雑誌を僕に差し出した。
 僕は黙ってそれを受け取る。
「凄いじゃない。あんた」
 この雑誌には大きく僕の名前があった。
「正直、実感は無いけどね」
 ただ絵を描いてきた。その他はほとんど何もしなかったけど、何とかなったみたいだった。
「金賞、って言われてもな」
 僕は絵を描くのが好きなだけだった。
別に有名になりたかったとかの野望があったわけじゃない。
絵を描き続けるには有名になるしかなかった、というだけなんだから。
「嬉しくないの?」
 幽霊が訊いた。
 首をかしげる仕草。目玉がどろりと落ちた。
 ちゃんと掃除していくんだろうな……。
「嬉しいよ。多分」
「多分?」
「よく分からないんだ。自分の事なのにね」
「けど、また新しい賞を目指してるんでしょ?」
 彼女は書きかけのキャンパスをちらりと見た。
「うん。そうしないと、絵を描いていけないから」
「それだけ?」
名誉欲は無いのかと彼女は訊いた。
「どうなんだろう……自分でもよく分からない」
「誰かから褒められたりするのって気分よくない?」
「うん。それは分かるけど」
「ならあるに決まってるわ」
「そうなのかな」
「そうよ」



 最初の受賞から数ヶ月が過ぎた。
 僕の絵は、どうなったのか西欧のほうの偉い画家先生に絶賛されたとかで、僕はちょっとした時の人扱いだった。
 やたら偉そうなお爺さんが僕の両手をつかみぶんぶんと上下に振った。
 外国人のコミュニケーションは分からないな、と僕はぼんやりとしていた。
 両親も大喜びだった。
 いなかのお祖母ちゃんも涙ながらに激励してくれた。
 僕はそれらを笑顔で受けながらも、どこかで他人事だった。



「こんばんは画家センセイ」
 幽霊はどこかからかうような口調だった。
 最近は毎日現れるわけではないが、それでも数日に一度はふらりと出現している。
 僕はどうもてなすでもなく、筆を持ったまま雑談するだけだった。
 幽霊のほうもそんな感じで、最近は雑誌を持ち込んでくることが多い。近くのコンビニで買ってくるそうだ。
 このナリで一体どうやって買うのだろうと思ったが、特に訊かなかった。
 なんとなく、勝手に拝借しているような気がしたからだ。
「丁寧にありがとう」
 こっちも嫌味を混ぜて返した。
「しかし大したものね。私にはその絵のどこがいいのかさっぱり分からないけど」
 幽霊は視線を上げ、ふわりと浮き、壁に張ってある賞状をまじまじ見た。
「どこがいいのかなんて、僕にも分からないよ」
「賞状の数、増えてない?」
「増えてるよ」
「さらりと言うわね」
「別に、最初の以外はほとんど名前だけで獲ったものだから」
 彼女はそれきり黙りこむ。
 僕も何も言わず、黙々と手を動かす。
「過ぎた謙遜はただの嫌味よ」
「謙遜のつもりはないよ」
 実際、大きな賞を獲ったといっても、僕は意味を見出せなかった。
 誰かにそう言う度に『やっぱり芸術家は違う』とかそんな目で見られるから、あまり言わないようにしているが。
 しかし賞をとることにより絵を描き続けていられるのは嬉しい。
「ところで、最近お仕事のほうはどうなんだい?」
 お仕事、とはもちろん幽霊のアレのことだ。
「おかげさまで、上々よ」
 大抵の奴は彼女のこの姿を見ただけで怖がるらしい。
「……そんなに怖いのかな?」
「そりゃそうよ。あんたは幽霊の映画や漫画を見たこと無いの?」
 確かに、彼女の姿は所謂『お化け』そのものであることは分かる。
「けどなあ……怖くない」
 彼女は小さく笑い、
「それは、私とこうして喋っているからよ。未知のものでなければ、ヒトは怖がらないわ」
 さらに、プロが言うんだから間違いない、と加えた。
「そんなものか」
「そんなものよ」



 テレビはニュースを垂れ流していた。
 思えば、僕の部屋にも物が増えた。
 かつての四畳半は僕の絵によって入ってきたお金によりもっと広くなった。
 両親はどこかもっといいところに引っ越そうといっていたが、僕はそれを嫌がった。
 なんとなく、あの幽霊の入ってくる窓と離れるのが嫌だったのだ。
 そういえばあの幽霊とはどんな奴なのだろう。
 それなりに長い付き合いだが、僕は彼女のことをほとんど何も知らなかった。
 知る必要など無い、と言えばそれまでだが、こうも全く何も自分の事を話さない彼女が少し気になった。
 何を言うにも、『幽霊だから』で済ませる彼女のことを、初めて気にした。



 最近、エアコンが入ったので窓を開けることが少なくなった。
 しかし幽霊たる彼女は壁をすり抜けることなど容易らしく、いつの間にか僕の部屋に入ってくる。
 確かに、幽霊の撃退法について『戸締りをしっかりする』なんて聞いたことが無いから、彼女は幽霊として正しいのだろう。
 彼女は「幽霊のくせに壁一つすり抜けられないじゃ話にならない」と言った。
「そうなの?」
「ええ。鍵してれば安全、なんて思われた時点で負けよ」
「幽霊も大変なんだね」
「最近は特にね。妙な連中が多くて困るわ。本物はあんなのじゃないのに、知ったかぶって」
 テレビなんかの心霊特集のことだろうか。
「本物はもっと大胆よ。ちょっとギシギシ音鳴らしたり光る玉を飛ばすことくらい、子供の悪戯の範囲じゃない」
 彼女は不満げに鼻を鳴らした。
「まあ、出来るんだったらちょっと後ろから声をかけるほうがいいだろうね」
 一人きりのはずの部屋で他人がいるというだけで十分な恐怖だ。
「けどさ、君らって」
「何?」
「本当に怖がらせるだけなの? 普通、幽霊といったらヒトを取り殺すものだけど」
 彼女は黙り込んだ。
「……まあ、これは趣味の差、かしら」
「ふうん」
 なら、僕は幸運だったのだろうか。
「人間だって、道行く人が普通の人か通り魔かの違いくらいあるでしょう。この程度の差よ」
 この程度というのはどれだけの差なのか。
「そうなんだ」
「そうよ」
 結局、こんなどうでもいい話ばかりで彼女自身の事を聞けなかった。



「あのさ」
「何?」
「私がもし人殺しの幽霊だったら、あんたはどうしてた?」
 ある日、彼女は唐突に質問してきた。
「人殺しだったの? 悪霊退散の護符、一応持ってるけどどうする?」
「茶化さないで」
 少し沈黙。
「……全力を挙げて撃退するよ。僕は死にたくないからね」
 やれやれと本音を言う。
「本当に?」
「本当だよ」
「何で生きていたいの?」
「絵を描きたいからさ」
「それだけ?」
「他に何がある?」
 幽霊はふわりと天井近くまで浮き上がり。
「自分が死んだら家族が悲しむ、とかは思わないの?」
「考えてもいなかったな。けど、僕の今までのお金で大丈夫だと思うよ」
 やれやれと彼女は首を振り。
 吐き捨てるように。
「私、もういなくなるの」
「……何で?」
「最近ね、私の死体が見つかったの。
 家族が丁寧にも供養してくれたのよ。
 おかげで見事、天国に逝けるみたいね。強制的に」
 余計なことを、と彼女は遺族(というのは適切かどうか)をなじった。
「……天国行きなら、それでいいじゃないか。何かあるのかい?」
「私はまだ満足していない。天国なんてごめんこうむるわ」
「ヒトを驚かす、というアレかい」
「そうよ」
「なら、家族の皆様にそう言って来ればいいじゃないか」
 彼女は舌打ちして。
「どう言えってのよ。こんな私の姿を見せて、その上何を?」
「……家族のこと、好きだったんだね」
「過去形にしないで」
「ごめん」
 彼女は気まずそうに黙り込んだ。
「……やっぱり、自分より家族のほうが大事なの?」
 正確には、『自分のエゴより』である。
「……そうね」
 ゾンビみたいな幽霊はうなだれた。
 血に濡れた髪がばさっと落ちた。

 

それ以来、彼女がここに来ることは無かった。
 少しの時間だけ、彼女の冥福を祈った。



 絵を書く気にもならず、ぼんやりテレビを眺めていた。
 よくわからないが、親が言うには、僕はすでに人生を三回くらいやり直せる程度の金を稼いでいるらしい。
 だからかどうかは知らないが、最近の両親はやたら僕の『仕事』を気にする。
 金なら十分にあるだろうと思うが、なんでまたここまで固執するのか。それが正しい人間なのだろうか。
 あの幽霊はヒトを驚かせること以外には何の価値も見出していない。
 ヒトと幽霊の差というのは、足がついているか否かの違いだけなのだろうか。
 なんかもう、面倒くさくなってきた。もはやこの世に未練なし、とか格好良く首でも吊ろうかな。
 けど、それは出来ない。
 死んでしまったら、絵が描けない。



締め切りは無視することにした。
 というか、仕事として絵を描くこと一切をやめることにした。
 面倒だったからだ。



 両親どころか、親戚一同が僕を叱責した。
 まるで犯罪者。
 いや、彼らにとって僕はそうなのだろう。
 別に構わない。
 明日死んでも構わないから、絵を描くことだけをしていたい。あ、死んだら絵を描けないんだったか。
 間抜け面を晒して僕を糾弾する連中がムカついた。
 彼らの視界には一体何が映っているのだろう。
 何も映っていないのだろうか。
 それとも、色々なものを見すぎて、焦点が合っていないのだろうか。
 彼女は、『ヒトを驚かすこと』に至上の価値を置いた。
 僕にとって、『絵を描くこと』だけが生きている理由だ。
 足の無い彼女を思い出す。
 彼女は一生懸命だった。
 馬鹿らしいと思う。
ヒトを驚かせたところで何の得も無い。
 そんなことに必死になるなよ。
 お前なら、覗きから銀行強盗までなんでも出来るじゃないか。
 こんなくだらないこと、やってどうするんだ。
 けど、必死な彼女はもういない。
 必死にやってきたことを捨てて、どっかに旅立った。
 僕は、彼女と正反対の道を選択する。
 僕も周りの連中も、ヒトはみんな我侭だった。


 
目を閉じる。
 暗闇の中をイメージ。
 黒いキャンパスに人影を。
 出来るだけグロテスクに。
 もちろん足は無く。
 満面の笑顔で、僕を見ている。
「どうだ、私はこんなにも怖いだろう」って、胸を張っていやがる。



 絵を描いた。
 彼女の絵だ。
 これはここに置いていこう。
 僕は旅に出る。
 どこかでくたばるならそれはそれ。
 本当の最期まで我侭を貫いてやる所存である。

 

 そうだ。
 死んでも、幽霊になってでも絵を描いてやるのだ。
 なぜそのことに気がつかなかったのか。
 それは魅力的な案だった。

<完>



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